誠心院(せいしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)(6)
http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/10/post-1293.html板壁1枚の長屋なので、貞妙尼(じょみょうに 25歳)は必死に声を殺していたが、房(ぼう)のときよりも姿態は大胆であった。
身もこころも、町女房になりきっていたのであろう、戒を捨ててかかっていた。
起きあがり、母親のものらしい丹前だけをはおり、勝手知った流しの上の棚の酒徳利から飯茶碗に酒を注ぎ、水屋から魚の煮こごりなどをのせた膳を枕元にしつらえた。
「尼午前どのに魚は似合わないが---」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)がからかう。
「いまは、町女房どす」
茶碗酒に口をつけた。
「いける口だったのだ。なんなら、このあたりの居酒屋へでも行こうか」
「銕(てつ)はん。お高祖頭巾をかぶってたら、お酒は呑めしまへん。頭巾とったら、墨鏝(すみごて)に、みんながひっくりかえりますやろ」
「そうだった。墨を洗い流して、素顔になったら?」
「このへんの人は、みんな、うちの顔も受戒した経緯(いきさつ)も、知ってはります」
「薬屋町小町だったのだ」
雨戸の隙間から見える外は、暮れかかっているらしい。
銕三郎が飯茶碗を返すと、膳を遠ざけ、丹前を脱ぎ、横にはいった。
「銕はん。墨を塗った貞妙尼を抱いたときと、素顔のうちと睦んだ感じは?」
「墨を縫った貞妙尼へは、すまないという気持ちが強くて、より昂(たかま)ったようだ」
「罪の意識どすか?」
「お貞(てい)は、初めてのときに痛がゆい---とかいったな。きりきりと締めつけられながら、喜悦を深めているというか---、いけないことをしているという気持ちはあるのだが、それをわざとしていることからとめどなく湧いてくる愉悦というか---」
「うち、銕はんとこないなってみて、よう、わかりましたんえ。おんなは、このことの愉悦から逃げられられへん---いうことが。躰の仕組みがそないなってるんやと。そんなんでないと、苦労してややを産むはず、おへん。愉悦の結果やさかい、産むんどすえ」
「産んだことがなくて、そういう考えにきめていいのか?」
「愉悦は、こころを許したいとしい男---亡夫や銕はんやさかいに、躰の芯まで甘美にとろけるのんどす。受戒したからいうて、そうすることを禁じるのは、戒が間違うてます。ほかの人に迷惑かけんと、2人だけで生きてることを喜びあってるいうのんに、仏が口をはさまはるのは出しゃばりいうもんと違いますやろか。うちは学問はおへんけど、躰が感じていることのほうが正しいのんや、おもいます」
声をひそめての、貞妙尼の宗門への疑念であった。
銕三郎は、反論する代わに裸身を抱きよせ、口を吸ってやり、秘所にやさしく触れ、考えていた。
(そういえば、芦ノ湯の湯舟で、まだ縁切りができていない人妻の阿記(あき 22歳=当時)も、似たような自分流のことを言ったなあ)
【参照】2008年1月2日[与詩(よし)を迎に] (13)
貞妙尼の息づかいが切迫してきた。
「銕はん。好きで好きでしかたがない男の人と交接して、下腹も骨の髄(ずい)も痺(しび)れ、頭の芯を真っ白にさせてもろたら、明日、死んだかてかめへん---それがおんなの極楽行や、おもうのんが、ほんまやおへんやろか」
「髄までしびれてみるがいい」
極楽で果てたまま貞妙尼は、後始末もできないほどであった。
銕三郎も、これまでにない愉悦を究(きわめ)たようにおもえた。
禁じられていることを破るときの恍惚感は、盗人もそうなんではないか。
子どもが、叱られると分かっていて、泥んこ遊びがやめられないのに似ていないか。
【参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4) (5) (7)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌く寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
銕三郎さん、阿記さんと貞妙尼さんをくらべていますが、もう一人、お竜さんも含めて、3人ともそれぞれ、自分流に自分を確立している女性なんですね。
江戸時代にそういう自我意識があったのか、やはり、いつの時代でも、自分を大事にする女性はいたのでしょうね。
投稿: tomo | 2009.10.16 03:37
>tomo さん
銕三郎のような青年を好きになる女性は、どうしても成熟していて、見識と自立心のある人でないと似合わないようにおもいます。
とくに、今回は、銕三郎は秘密の探索を手助けしていますから、任務もおもく、その分、こころを許せる女性が必要かと。
坂本竜馬にそういう女性がいたよう。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.16 12:48