銕三郎、膺懲(ようちょう)す(4)
(お竜(りょう)だったら、どういう策でのぞむだろう?)
久しぶりに、お竜(享年33歳)のことが懐かしくおもえた。
この場にいて、知恵を貸してほしかった。
どんな奇策を立てるか。
あるいは、正攻法でのぞむか。
躰の触れあいも忘れがたい女性(にょしょう)であったが、お竜の頭脳の動きは、名将と閒者を一身に秘めていた。
(どんなことを言っていたか)
「必ず敵の閒者をさがし、これを利すべし」
そんなことを、笑いながらささやいたことがあった。
(そのときおれは、お竜の右の内股のつけ根にあった黒子(ほくろ)を、舌でなぶっていた。
〔利すべき敵の閒者---〕
いまのところ、2人いる。
その一人からの風音(ふういん)をもって、万吉(まんきち 22歳)が戻っているはずである。
〔炭屋〕の2階の部屋へはいったときであった。
彦十(ひこじゅう 38歳)が啓太(けいた 20歳)をまねき、西迎寺の山門から出てきた僧形の男を窓から見せ、
「帰る先と、身許をつきとめな」
すばやく降りていった。
部屋へあがる前に頼んでおいたきつねうどんの出前がとどいた。
万吉は、出ていった啓太のどんぶり鉢にも箸をつけながら、源泉院の門前の花屋の老婆の話を述べる。
いちばん新しい後家の身許はいずれわかるが、この前までは、寺町五条上ルのちょうちん傘屋〔鎰屋(ますや)〕の寡婦となった内儀・お甲(こう 30歳)がそうであった。
それが、ややができてしまい、水子にして躰をこわし、お呼びでなくなった。
「ぽってりした、ええおなごどしたけど---」
(ちょうちん問屋〔鎰屋〕 『商人買物独案内』)
「姐(ねえ)はんの若いときに似てましたんやろ」
万吉の大仰な冗談を真けた婆さんは、その前の寡婦を教えた。
六角堂高倉角の、主として真言宗の法衣を商っている〔岡屋〕の女将・お陸(りく 28歳=当時)は、背筋がすっきりとのびたいいおんなだったが、そのときの声が大きすぎて、隣の寺までとどくというので〔鎰屋〕の寡婦にとってかえられた。
(法衣〔岡屋〕 『商人買物独案内』)
「彦さん。〔風炉(ふろ)屋〕の番頭さんに顔を貸してもらうように、使いをだしてくれと、ここの主人にいってきてくれないか」
【参照】〔風炉屋〕の番頭とは、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七のことである。まわりの耳を気づかって、〔通り名〕で呼ばなかった。
2008年5月28日~[〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七] (1) (2) (3) (4)
2009年7月20日~[千歳(せんざい)〕のお豊] (1) (2)
彦十がおりていくと、
「万吉どの、その花屋の婆さんは、50幾つだといってましたか?」
「60までに3年とか---」
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
このブログ、お竜さんの出現以来、『孫氏』が実に巧みに採りこまれていて、これまで実物を読んだことがないのに、読んだような気にさせられるのが、不思議です。
お竜さんにたぶらかされているのかなあ。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.11.01 11:18
>文くばり丈太 さん
お竜は、なにしろ、母方が、信玄公の軒猿の末裔ですからね。
スパイ(閒者)としての心得がつたわっているのでしょう。
紀州からきたお庭番も、紀州侯頼宣が駿河
を領していた時代に甲斐から雇われた軒猿のその後のように見ているのですが---。
とにかく、信玄公も『孫子』を熟読していたようですし、お竜が座右の書としていても不思議はありません。
惜しい女性が不慮の死をとげてしまいました。
生きていれば、鬼平のために、いい密偵ばたらきをしてくれたとおもいます。
もっとも、銕三郎よりも6歳ほど年長ですから、平蔵の火盗改メ時代だと48,9歳から55,6歳---お熊とおまさの中間でした。
投稿: ちゅうすけ | 2009.11.02 15:02