銕三郎、膺懲(ようちょう)す(5)
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)に頼んだのは、なんと、〔牝誑(めたらし)の現役と古手(ふるて)であった。
「古手のほうは、今日明日にもほしい」
源七は、さすがである。
遣い道などは訊きもしないで、しばらく思いをめぐらせていたが、ぽんと手をうち、
「〔千本(せんぼん)}の世之介などというふざけた名を〔通り名〕にしていますが、なに、生まれが千本通りの北の端の浄興寺の住職が妾に産ませたって奴で。千本を目ざしたが寄る年波には勝てねえ、888本で撃ちどめだなんて、大ぼらをふいてます。1本はおなご衆1人だっていうからタチがわるい。まあ、面(つら)だけは〔牝誑〕を自称するたけあり、若いときはそれなりに見えたようですが---」
【ちゅうすけ注】〔牝誑(めたらし)鶉〕の福太郎(25歳)は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[蛇(くちなわ)の眼]p20 新装版p21に登場。
巻7[はさみ撃ち]で薬種屋〔万屋〕の30妻・おもんをたらしこんだ〔針ヶ谷(はりがや)〕の友蔵(31歳)は、〔女だまし〕専門と。p81 p85
万吉が中古の牝誑〔千本〕の世之介をともない、東山の源泉院の門前の花屋へあらわれたのは、翌日の午後おそくであった。
老婆・お時(とき 57歳)は、一目で世之介が気にいったようで、お茶を淹れるは、饅頭をすすめるはして、歯が浮くようなお世辞に脂っけのぬけた躰をくねらせている。
このままいくと、臍くりをみつぐから、今夜、泊まっていけといいかねないかもしれない。
お時を世之介にまかせた万吉は、店の奥から、源泉院の山門からあらわれる年増を待っている。
きょうあたりは庫裡(くり)へしけこむころだと、きのう、お時から告げられていた。
花屋の奥で隠れて見張るために引っ張りだされた世之介だったのである。
おんなは、見込みどおりに庫裡から出てきた。
山門にも夕やみがしのびよっているので、遠目には25歳をすぎたかかどうかの齢ごろとふんだ。
着つけは乱れていないが、髪はいくらかほつれている。
家へ帰りつくころにはすっかり暮れているから、とおもいさだめているのであろう。
20間(300m)ほどの距離をおいて尾行(つけ)ていく。
さっきまでの情事をおもいかえしているのか、腰がひだるそうな歩きぶりである。
「ちきしょう。うまいことやりよって---」
坂の両側に表戸をおろした焼きものの小店が点在している五条坂で、おもわず、つぶやいた。
富小路五条の南角、〔きせる問屋 松坂屋〕の看板があがっている店の、くぐり戸に消えた。
(きせる問屋〔松坂屋〕 『商人買物独案内』)
その先の路地の呑み屋の灯が見えたので、障子戸をあけ、空き小樽に腰をすえ、
「おお、こわかった」
「どないしはりましたん?」
訊いたのは、燗したばかりの徳利を、黙って飯台(はんだい)に置いた店の親父である。
このごろは、こんな店までが、銅製の燗用ちろりから、陶器製の徳利になっていた。
冷めがおそくなるからである。
五条坂をくだっていたら、別嬪(べっぴん)の年増が清水焼の窯元の脇からあらわれて前をゆくので、ゆれてる腰からいつ尻尾がでるかとつけてきたら、表通りの〔松坂屋〕で消えてしまったと、万吉が即席のつくり話に、、
「〔松坂屋〕のご新造はんでしすやろ。後家にならはったばかりやで、おおかた、旦那寺からの帰りどしたんやろ」
亭主が笑い顔で、一夜漬けの小かぶを呈した。
「後家?---25,6の若年増にしかも見えへんかったが---」
「若うても、後妻なら、後家にならはります」
「後妻? あない別嬪で?」
「〔松坂屋〕はんほどの身代(しんだい)があったら---」
「どこから、きィはったんどす?」
「------」
しゃべりすぎたとおもったらしい親父は、聞こえないふりをして大徳利からちろりに酒を注ぐことで、問いをそせらせた。
向かいの相客に酒をすすめると、その中年男が飯茶碗で受け、小声で、
「五条橋下におます料理屋〔ひしや〕の座敷女中やったんが、〔松坂屋〕の55歳の旦那に見初められよって---」
(料亭〔ひしや〕 『商人買物独案内』)
源泉院の門前の花屋では、引きとめるお時婆ァに、
「あすの夕刻まえに、手みやげに〔川端道喜〕の粽(ちまき)をさげてくるよって、向かいの寺の小坊主も呼んどいきなはれ」
銕三郎から口うつしの甘言をのこし、〔千本〕の世之介は、どうやら、889本目を数えられるとほくそ笑みながら、おぼつかない足どりで、五条坂をくだっていた。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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