銕三郎、膺懲(ようちょう)す(6)
烏丸蛤ご門前の粽司(ちまきつかさ)〔川端道喜〕の10代目あての書状をしたため、朝早に松造(まつぞう 22歳)を7やり、求めさせた粽20本のうち半分を久栄(ひさえ 21歳)に、あとを携えて山伏山町(錦小路・室町上ル)の家へ寄った銕三郎(てつさぶろう 28歳)は、待っていたご用聞・〔大(文字町だいもんじまち)〕の藤次(とうじ 50前)と話した。
藤次は、東町奉行所の目付与力・浦部源六郎(けげんろくろう 51歳)から十手をあずかって20年近くにもなる、老練の者であった。
貞妙尼(じょみょうに 享年25歳)がいびり殺された現場も検分しており、犯人たちが寺僧との推測はついているものの、寺域にふみこむことははばかられたのと証拠がないので、手をこまねいていたところであった。
そこへ、銕三郎からの呼びだしがき、浦部与力に伺いをたてたところ、いわれたとおりに働けとの指示が返ってきていた。
誠心院(じょうしんいん)の寺男・又平(またへえ 50がらみ)が山伏山町の家にいたので、不審をつのらせはしたが、浦部与力の指示をおもんぱかって、訊くことはひかえた。
銕三郎の頼みは、油小路通二条通り上ルの、鞘師・三右衛門の店の裏手、2軒長屋のお銀(ぎん 60すぎ)婆(ばば)に、十手をちらつかせ、「貞妙尼が邪淫な破戒を隣の実家でやっていると、どこかの住職に、お前はんが告げ口したため、尼が責め殺されたと見て、奉行所は宗門裁きみたいなことに加わった全員を調べていると脅し、後ろをつけて、告げにいった先をたしかめてほしい---であった。
生前のお竜(りょう 享年33歳)が、なにかのときに、潜入している閒者を見つけるには、秘密めかしたことがらをさぐりとらせたふりをして、その後の動きでたしかめる法もある---といったあと、山本勘助どのの〔啄木鳥(きつつき)〕の戦法の変わり形---と笑ったのをおもいだしたのである。
お竜は、商舗の金のかくし場所をさぐりだすための法として考えていたのかもしれない。
お銀が駆けこんだ先は、やはり、筋屋町の西迎寺であった。
出かける暁達(そうだつ 36歳)を尾行(つけ)たのは彦十(ひこじゅう 38歳)と万吉(まんきち 22歳)と啓太(20歳)、〔千本(せんぼん)〕の世之助(よのすけ 60すぎ)だが、その後ろをさらに追っいる者がいるのを、4人は気づきもしなかった。
五条通りへでたところで、暁達は、左へ折れないで右に折れた。
啓太が、
「毘沙門町へいくきよるんやないか。おとといの僧の寺は、そこの竜土寺やった」
4人はちょっと相談をし、手に粽をもった世之助だけが左折した。
彦十、万吉、啓太は、まよわず、右に折れて暁達を追ったが、まん前のきせる問屋の〔松坂屋〕の店舗を指さした万吉が、
「この大店の年増の後家はんが、元賢(げんけん 43歳)から功徳を施こされとるんや」
4人を尾行していた藤次は、とりあえず〔松坂屋〕もおぼえておくことにしたものの、事件とどうかかわっているのかは見当もつきかね、首をひねった。
源泉院前の花屋では、お時(とき 57歳)の誘いでやってきた小坊主・賢念(けんねん 13歳)が3本目の粽をほうばりながら、
「〔松坂屋〕のご内儀は、お里(さと)いうて、若うは見えるけど、白粉と紅おとしたら、やっぱり、30は30で、ごまかしはきかへん」
「白粉おとすこともあんの?」
「泊まっていかはるとき、湯殿をのぞき見しとんのや」
「悪い小坊主や」
「うちだけやあらへん。寺男の五平(ごへえ 59歳)はんが板に穴、刳(く)りはってん」
お時は、粽よりも世之助で、引きよせた手を、着物の上から尻にみちびいていた。
「和尚はんは、お里はんと、湯ゥもいっしょ?」
「そうどす」
「おもろい。湯殿から寝間までの図を書いてェみ」
賢念は筆を借り、手の米粉をはたき、間取り図を描いた。
「本堂へつながっとる廊下は?」
賢念が4本目にのばした手をぴしゃりと叩いいた世之助が、
「〔道喜〕の粽は、1本、なんぼするおもうてんねん。値段聞いたら、口がまがるでェ」
小坊主が満足して源泉院へ戻っていくと、お時は、世之介にしなだれかかって口をさしだした。
ちょっと吸ってやってから、
「お時---」
「あい」
呼び捨てにされ、もう、情婦気どりで甘えている。
「これからすぐに、向かいの寺の住持の---なんていうたかな---」
「元賢少僧正はん」
「そや。その少僧正はんにな、誠心院はんで、庵主(あんじゅ)はんが殺されはったとき、11両(176万円)ほどが紛失しとるを、奉行所がみつけたらしと、わいがいうとったと、耳うちしてやってんか。10両盗んだもんは、死罪なんや」
「奉行所?」
「そや」
「すると、世之はんは、奉行所かかわり?」
「ちがう。奉行の息子はんと知り合いの、知り合いなんや」
「ほな、いてきますよって、帰らんと、待ってておくれやす」
「待ちなはれ。も一つあんのや。誠心院の須弥壇(しゅみだん)の陰から、殺された尼はんの手控えがでてきよってな、それには、言いよった坊(ぼん)さんの名ァと、口説きせりふがぜぇんぶ書きとめてあったらし、とささやいてきなはれ」
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (2) (3) (4) (5) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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