銕三郎、膺懲(ようちょう)す(2)
「仏光寺通り・富小路通りの角の〔炭屋〕って旅籠の表側の部屋からだと、西迎寺の山門がはすかいに見わたせやす」
〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 38歳)が報せてきたので、銕三郎(てつさぶろう 28歳)は早速に〔炭屋〕へ出向き、亭主・善三郎(ぜんざぶろう 48歳)に、西町奉行の息子であることを告げ、江戸から彦十がご用の筋をもってのぼってきたので、表側の客室をしばらくのあいだ借り受けたいと頼んだ。
(寄宿〔炭屋〕善三郎 『商人買物独案内』)
亭主は、銕三郎の顔色で秘密の用向きらしいと察し、番頭にも女中にも伏せておくから、と承諾したうえで、
「うちのすぐ西側には、親鸞上人はん自作の御影(みえい)を祀ってはる本山・仏光寺はんがございます。まわりの塔頭も10寺ではききまへんよって、お坊さんがぎょうさんいはります。よほどにお気張りなさりまへんと---」
助言してくれた。
(仏光寺 『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
彦十は、江戸の十手持ち、〔左阿弥(さあみ)〕の若い衆---万吉(まんきち 22歳)と啓太(けいた 20歳)は、地元で雇われた手先ということになった。
網を仕掛けおえた銕三郎は、東町奉行所の同心・加賀美千蔵(せんぞう 31歳)に、役所の南の神泉苑(じんせんえん)の住職を紹介してもらった。
偶数月は、東組の月番で、奉行所の門は開かれている。
神泉苑は、近衛家が別当になっている真言宗・東寺に属する寺である。
池中に善女竜神を請じて旱魃の雨乞いを祈願してきた。
(神泉苑 『都名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
銕三郎を茶室に招いた老師は、茶をすすめ、
「伝授をお望みのものは?」
「わが家の香華寺は、江府にありますに日蓮宗の戒行寺でございます。卒爾(そつじ)ながら、宗旨(しゅうし)により、比丘(男僧)が守るべき戒律は異なるものでございましょうか?」
老師は莞爾(かんじ)とした面持ちで、
「人は群れたがりよりますわなあ。群れはさらに鶏頭になりとうて小群れをつくりよる。これを名欲(みょうよく)いいますのんや。まあ、群れの中でだけのことやよって、俗界からの指弾(しだん)もおませんけど」
「俗界から指弾を受けなければ、かまわないのですか?」
「手きびしいの。欲のない人はおらしまへん。名欲くらいは、僧にもゆるしてやらんと、生きてても息がつまりよる。ほれ、この茶の湯も口欲の一つでおます」
「不殺生(ふぜっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふいんしゅ)の五戒は、いかがでしょう?」
「不飲酒は、俗界では戒やおへんな。前の三戒は、世間でも犯戒(はんかい)どすやろ?」
「そのように心得ております」
「殺生すれば死罪。親や主殺しは引きまわしの上、磔(はりつけ)、曝し(さら)しどすな」
「それは、奉行所の裁きです」
「僧職にはあと、不食魚肉、不食獣肉---乳もなりませぬ。人のおなごの乳もですぞ」
銕三郎が顔を赤らめたので、老師は声をだして笑った。
この若者、意外にも正直だとでもおもったのであろう。
「冗談がすぎよりましたかな」
「老師。たびたび、お教えを請けに参上してもよろしいでしょうか?」
「いつにても、お迎えしますぞ」
山門を出ながら、貞尼(ていあま)の悲痛は、きっと鎮(しずめ)てやる、と覚悟を新たにした。
【参照】[銕三郎、膺懲(ようちょう)す] (1) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
【お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉湧寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。
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コメント
銕三郎の、法は法だから守らねば、という考え方はまっとうです。
江戸時代だって、法(御定(おさだめ)書百ケ条)という法があったわけで、やたらめったらに斬りあいが許されていたわけではありませんよね。
そんな状況の中で、銕三郎がどのような懲罰をあたえるのか、知恵くらべ、楽しみにしています。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.10.30 05:20
>文くばり丈太 さん
そうなんです、吉宗のときに『御定書』が定められました。多くの江戸もの小説のように、勝手に復讐をしているのは理にあいません。もちろん、小説を読む側とすれば、リンチとか斬りあいはおもしろいのですが---。
このブログでは、なるたけ史料にそって---ときめてすすめています。おみとめいただき、ありがとうございます。
投稿: ちゅうすけ | 2009.10.30 08:56