鎖帷子(くさりかたびら)あわせ(2)
与力と同心をまぜての鎖帷子(くさりかたびら)あわせがひとわたり終わるころには、先手・弓の2番手にはきわだった変化がおきていた。
組内の噂というか情報の伝わり方が正確ですばやくなっていたことが一つであった。
たとえば、長谷川屋敷の広い庭の用具小屋の鎖帷子(くさりかたびら)が補充されるのは、あと10人分で、1人分は4両(64万円)かかるが、すべてお頭(かしら)がお出しになり、組衆は負担しなくてもいいらしいと。
そのかわり、同心は近く1着ずつ持ち帰り、錆の点検とつなぎ目に菜種油をしませておくこと、着心地をたしかめて返納するようにと申しわされた。
城の紅葉山の銀杏の実が落ちるころの出番の日には、手わけして拾ってまとめておくこと。
あとで鎖帷子に塗る油を絞らせると。
(じつは、1人分4両(64万円)というのは、平蔵(へいぞう 41歳)と武具師〔大和屋〕の主人・仁兵衛(56歳)とのあいだで取り結んだ、公儀が発注した場合の誂えl料であって、長谷川家への納入は3両1分(52万円)であったことは極秘になっていた。
念のために請求書も帳簿も2重にするように平蔵が助言した。
そのときの平蔵の言葉――「またも、考案料1着につき3分(12万円)をもらいそこねたわい」
「どこの旗本の家でも物要りがふえて難儀しているのに、お頭のところは打ち出の小槌でもお持ちなのですか?」
少しばかりの酒に酔ったかして、同心・山田市太郎(いちたろう 38歳)のうらやましげな声であった。
「いや、そのような重宝なものがあるわけはない。いまは亡き父上が采地の湿地100余石ほどを新田に拓(ひら)かれての、その分、まあ、余裕となっておるにすぎない。開拓指導に行かれた父上が、村長(おとな)のむすめの女躰(にょたい)まで拓かれた結果が、われということ---」
笑っていいのかどうかのみんなの迷いを破るように、平蔵が自ら、、
「は、ははは。われはついでの産物よ」
みんなが気をゆるして笑うと、
「のう、山田。女房どのが打ち出の小槌よ。4人も子宝を打ち出してくれたろう、大事にしてやれ。そうそう、友人の医学館の多岐教頭の安(やっ)さんが調合してくれたこの薬を飲ませてやれ。気分がよい日には、われから診てもらえといわれたといい、女房どのを医学館へ連れて行ってやれ。日どりがきまったら、深川・黒船橋北詰の〔箱根屋〕の船を頼め。亭主・権七(ごんしち 54歳)はわれの悪友だから、いささかも気をつかうこことはないぞ」
医学館といえば幕府公認の医科大学にひとしい。
そこの教頭を友だちあつかいにしたばかりか、組下の同心の妻を無料で診療させるというのだから、この手くばりの効果は大きかった。
「うちのお頭は単に顔がひろいというのではない。武家でない人びとと心底うち解け、こころを通じあわせておられるらしい」
「それだけではないぞ。山田市太郎は、本所のご家人株を買って金貸しをやっている男からの借金を抜いて、蔵前の〔東金屋(とうがねや)〕とかいう正規の低利の蔵宿にふりかえてもらったらしい」
「それも、〔東金屋〕のほうから、長谷川さまにはご恩があるから、あのお方の組の衆のためなら、喜んでお手伝いさせていただきますと申し出てきたということだ」
「いったい、どういう育ち方をなさったのであろう」
「町衆とのつきあいばかりか、宿老・田沼主殿頭さまともつうかあの間がららしい。とにかく不思議なお頭よ」
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