銕三郎、江戸へ帰った
「江府はいい。空の色からしてちがう」
峠、また峠の木曾路から、中山道を旅してきただけに、板橋をわたりながら銕三郎(てつさぶろう 28歳)が感慨をこめていうと、久栄(ひさえ 21歳)が馬の脊から、
「おんなは、都のほうがいい---とおっしゃりたいのでございましょう?」
「見た目ではきまらないぞ」
「あら、お抱きになったのでございましょう」
「しらぬな」
久栄の前にまたがっている辰蔵(たつぞう 4歳)が口をはさんだ。
「辰(たつ)は、佐久(さく)に抱かれたよ。佐久は京都で生まれたといっていました」
佐久(17歳)は、堀川通り蛸薬師下ルの打物師の次女で、亡じた備中守宣雄(のぶお 享年55歳)の召使として役宅にあがっていたが、宣雄はけっきょく、手をつけなかった。
【参照】2009年10月8日[備前守宣雄の嘆息] (4)
「辰蔵。抱かれたのでありませぬ。転びかけたので、抱きあげられたのです」
久栄が訂正する。
「幼な子どもがいうことだ。いちいち、目くじらをたてずとよい」
「いいえ。まもなく、平蔵をご襲名になる、あなたさまの嫡子でございます。しっかりしつけませぬと、家督が相続できませぬ」
(板橋駅 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
板橋のたもとの茶店に、用人・松浦与助(よすけ 57歳)が出迎えにきていた。
会わなかったのは1年たらずでしかないのに、髪は真っ白、腰がすこしまがりかけてきていた。
与助の後ろには、下僕の太助(たすけ 70歳ちかい)がひかえていた。
銕三郎は、太助とは秘密を共有している仲と観念している。
14歳のときに、はじめておんなを抱いた。
手配をしたのは太助であった。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
2007年8月3日[銕三郎、脱皮] (1)
あいさつの交しあいがひとわたり済んだところで、太助が久栄をはばかりながら、耳打ちをした。
「権七どんが、毎日のようにお屋敷へ参っております」
「用向きをいったか?」
「若さま---いえ、殿さまのお戻りを待っていますようで---なんでも、〔泥棒酒屋〕だか〔盗人酒屋〕だかの亭主のことらしゅうございます」
(そうか。まだ、ご公儀の跡目相続のお許しはうけてはいないが、この者たちにしてみると、おれはすでに主人なんだ)
身が引きしまるとともに、なんとも面映い感じであった。
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コメント
中山道を水入らずで楽しみながら旅するのかと期待していましたら、一足跳びに江戸でした。
ちょっと、がっかり。中山道の風景も楽しませてほしかったところもありました。
投稿: tsuuko | 2009.11.30 06:44
>tsuuko さん
中山道は、夫婦に子づれ、それに残暑もまだきびしい季節ですから、水あたりくらいでさしたる変化もなく---といいたいところですが、じつは、なにをかくしましょう、3年前に借りて全コピーをとったはずの『中山道名所図会』をどこにしまいこんだのか、みちつからなかったので、本意でなく、省略してしまわざるをえなかつたのです。
今後、でてきたら、久栄の思い出の形ででも、書いてみましょう。
『中山道分間延絵図』は、ご大層に書棚を占拠していねのですが。
投稿: ちゅうすけ | 2009.11.30 15:13
事情、了解しました。
史料だけでも、太変な量ですものね。
久栄さんの回想を待っています。
投稿: tsuuko | 2009.12.01 06:08