日野宿への旅(7)
明朝の出発は六ッ半(午前7時)と約し、高幡(たかはた)不動堂の山門から路を南へとり、慈活山松連寺(しょうれんじ)へ託(ことづけ)に行く若松三平(さんぺえ 22歳)と別かれた。
「松造(よしぞう 33歳)。われらは、浅川あたりを下見しておこう」
不動堂への上り坂の手前でわたったのが、浅川にかかる高幡橋であった。
橋の南詰で、通りかかった中年の農婦に、落川(おちかわ)村を訊いた。
「この川にそって東へおいでるだ」
(太い赤路=甲州道中 細い赤路=川崎路 太い水色=多摩川 細い水色=浅川
明治19年参謀本部作製)
「ついでだが、お染(そめ 26歳)と申す者の子どもが行方しれずになったのは、ここから何丁ほど下流か、存じおるかの?」
途端に、目がけわしくなった。
「旦那方は、お役人さまだかね?」
「それに近いことは近い者ではあるが---」
「だら、村の役人衆に訊くだ。この8丁さきの塀のあるお屋敷が、聡兵衛(そうべえ)さまん家(ち)だで」
農婦は、お辞儀だけをし、あともふりかえらずに去っていった。
聡兵衛の家はすぐにわかった。
松の巨樹が塀越しに岸辺へ枝をのばしていた。
身分を告げて訪(おとな)いを入れると、すぐに庭に面した部屋へ通された。
あらわれた村役の聡兵衛は、ちょこんのっている髷が真っ白で、はっとするほど里貴(りき 逝年40歳)をしのばせる面高(おもだか)の60年配の仁であった。
松造も同じおもいだったらしく、ちらりと平蔵(へいぞう 40歳)に視線をはしらせた。
「長谷川さま。お寺社からのご出役(しゅつやく)とのことでございますが、ご身分のあかしになるものを、お示しいただけましょうか?」
おだやかに訊いたが、目は微笑んではいなかった。
さし出した月番の寺社奉行・松平右京亮輝和(てるやす 36歳 上野・高崎藩主)の花押(かおう)入りの念書をたしかめると、あらためて微笑し、
「落水村のお染さんの息・卯作(ぼうさく 6歳)の件でございますが---」
「卯作(うさく)とばかりおもっていたが、(ぼうさく)と読みますのか」
「たぶん、卯月(うづき 陰暦4月)に生まれたのでしょう。届け名は(ぼうさく)となっております」
「父親は---?」
「父(てて)なし児との届けが、和州・宇治の郷役(さとやく)から---」
「松蓮寺へくだってきておる大和尚・竺川(ちくせん 40歳)が父親とは記されておらぬと---」
「めっそうもない。真宗とちがって黄檗(おうばく)宗の比丘(びく 僧)が子を生ませて安穏ですむ道理はありませぬ」
(それがあるのだなあ。わが長谷川家には、比丘尼に子を産ませた者がおる)
【参照】2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] ( 1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
(いや、ここで辰蔵(たつぞう 16歳)をひきあいにするのは卑怯だ。男とおんな---なにかのきっかけがあり、世間の目から隠すことができさえすれば、抱きあうのに手間はかからないのだから、きれいな口をたたけたものではない)
銕三郎(てつさぶろう)が京都で法衣の貞妙尼(じょみょうに 25歳)に還俗(げんぞく)を示唆したのは27歳のときであった。
【参照】2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)] (1) (2)
(おんなの躰には、いたるところに情火の火打ち石が埋まってい、男の指や唇が触れると火花を散らしてしまう)
男もおんなも、一度発火してしまうと燃えつきるまで、仏の訓戒も効くものではない。
宇治の万福寺にいた竺川も、なにかのはずみでお染という若いおなごの火打ち石を磨(す)ってしまったのであろう。
【参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9) (10) (11) (12)
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コメント
>おんなの躰には、いたるところに情火の火打ち石が埋まってい、男の指や唇が触れると火を発してしまう。
これは男の情欲にもいえます。ただ、男は歴史の長いあいだ、規律をまもる習性を強いられてきましたから、不用意には発火しないように自制しているのだといえましょう、酒などで自制が薄まるとたちまち発火です。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.10.15 05:07
>文くばりの丈太 さん
何かで読んだ記憶があります。哺乳類の雌には発情期があるが、進化(?)した人間のおんなは年中可能であるし、また、求めてもいると。
それを、発火にたとえてみました。
男にとっても幸いしている神の配慮と、感謝しています。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.15 16:52