辰蔵と月輪尼(がちりんに)(5)
「いま、入っていって、ややが驚かないかな?」
辰蔵(たつぞう 15歳)の心配はもっともであった。
於初(はつ 12歳)、於清(きよ 9歳)、銕五郎(てつごろう 4歳)を身ごもったときの母・久栄(ひさえ 32歳)の腹のふくらみ具合は見ていたが、父といつまで閨(ねや)を共にしていたかなどということはかんがえたことはなかった。
その点、月輪尼(がちりんに 24歳)のほうは耳年増であった。
京都の御所近くの屋敷では、昨夜の卿がおわたりになったのは、9ヶ月にもなっている茜(あかね)の局(つぼね)であった---とはしたない下女たちのうわさ話を耳にして育っていた。
おわたりとはいうものの、じつは、卿の寝所へ呼ばれるだけのことではあったが。
いつも施療の部屋であったが、庭側の襖はあけてあり、障子をとおして冬の冴えた陽差しがながれこんでいた。
火鉢で暖めてあるとはいえ、素ッ裸だといささか寒い季節であったから、このごろは2人とも寝衣を羽織ったが、腰紐はつかわなかった。
辰蔵は、月輪尼の臍(へそ)のあたのりをなぜてやりながら、
「いつ、宿ったかわかるのかな---?」
言葉づかいまで、腹の中の子の父親らしくなっていた。
「おなごにはわかります」
「いつだった---?」
「辰はんが、寝台(ねだい)の裸の人のこと、告白しィはった日---」
【参照】2011年8月6日[辰蔵のいい分] (9)
2011年5月21日[平蔵、書状を認めた] (6)
2011年5月22日[本陣・〔中尾〕の若女将お三津] (5) (6) (7)
2011年5月21日[[化粧(けわい)読みうり]西駿河板] (3)
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「夢の中のことといっていたが---」
「夢うつつ---いうやおへんか。仏のお告げは、みーんな、夢うつつ---でも、月のものがのうなったんは、あれからでおます」
「では、おれたちの子に、あいさつに参ろう」
「いまさらのあらたまってのあいさつは、けったいどすえ。もう、20たびも顔合わせ、すんではりますもん」
「あ、ははは」
「お、ほほほ」
「よく、身ごもってくれた。あらためて礼をいわせてもらう。2人の子が生まれるというだけで、浅間の山焼けの黒い煙が晴れた気分だ」
「悦んでくれはって、うれしおす」
「喜ばいでか。そろそろ、父上、母上に告げなければならぬ。わが屋敷へ参れる日は---?」
「いつかて---」
「そうもいくまい。父上の非番の日がいい。4日後、施療を断っておけ。駕篭をまわす。五ッ(午前8時)でよいな?」
【参照】2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] (1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9)
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コメント
私が3,000コメントを踏んだことより、コメントが通算で3000も累積されたことのほうにおめでとうをいわせてください。
偉業です。
これだけ質が高くて、ほんとうの鬼平ファンなら見逃すことのできない史実が無造作に書tれている鬼平ブログはほかにありません。
しかも、アクセス数が80万を軽く超えています。
ますますの発展をお祈りいたします。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.08.24 09:20
mine-sanの見方に一票。
投稿: kayo | 2011.08.25 08:49
>文くばりの丈太 さん
とんでもありません。
お励ましのコメントでどれぼど勇気をいただいておりますことか。
反響が少ないと、やはり拙劣すぎるか、あるいは突っ込みすぎるかと逡巡、「もう止めよう}と悩みます。
そんなとき、文くばりさんコメントで勇気をふるいおこしています。
これからも。お気づきのこと、いろいろ、お教えくださいますよう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.25 19:26