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2011.08.28

辰蔵と月輪尼(がちりんに)(9)

「父から、辻番所をめぐりを解くというお許しがでた」
辰蔵(たつぞう 15歳)が、並んで仰臥(ぎようが)している月輪尼(がちりんに 24歳)へ報じた。

「そら、よろしおした」
長谷川家で公認になってから、月輪尼の姉さん女房気どりが濃くなっていた。

ゆっくり裸身をおこし、枕元に脱いでおいた刺し子の腹巻をつけ、また横になった。
(たえ)お婆はんの手作りやよって、仇や疎かにできしまへんやろ。しっかり温めて、ええやや子産まんと---」

そのときにも外そうとしないのを、
「腹あたりがごわごわしていて、気がのらぬ」
辰蔵がきらったために、ようやく外した腹巻であった。

「5ヶ月になったら、ちゃんとした腹帯を(たっ)はんと金比羅はんへ行(い)て、授かったらええゆうてくれはりましたんえ」
「真言宗の比丘尼の(ゆき)が金比羅宮へ参詣してもいいのか?」

とは、清華格の公卿の家の六女としての月輪尼の俗名であった。
睦みの頂上では、
ゆき---ゆき
呼びかけている。

知識のうすい辰蔵に、金比羅はもともと仏教の12神将のうちのコンピーラがなまって海の守神になったもので、「航海、海---産み---妊婦の腹帯」となったのではないかと披露した。

は、広智深識だからなあ」
そのほうではかなわないと、辰蔵はあきらめていた。
(こころの的を射ること、つぼを射ぬくことなら---)


[懐胎すること十月(じゅふげつ)、迅速にして停(とどま)らず。
月満ち時に臨(のぞ)んで業風(ごつぷう)催促す。
生るる日にあたり、遍躰(へんたい)酸疼(しゅんとう)し、
骨節(こっせつ)分離して千支(せんし)倶(とも)に解(と)く、
中心悶絶(もんぜつ)して死活いまだ分(わか)たず。
------------]

産褥が軽く、短くなるための『父母恩重(おんぢう)経』の唱句と、月輪尼は信じていた。

「あ、動きはった---ここんとこ、お父ごの訪れがしげしげやよってに、もろ手ぇあげてよろこんではんねんよ」

7ヶ月目からの潜(ひそ)み場所は手あてがついたから、大船に乗ったつもりで安心しているがいい、といってくれた平蔵(へいぞう 39歳)に、すべてをまかしきっていた。

親しく言葉をかわしてみると、平蔵は頼りになる父ごであった。
(もっと早うに知りあったら、もしやすると、この人のほうを、ややの父親にしたかもしれへん)

参照】2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] () () () () () () () (

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