辰蔵と月輪尼(がちりんに)(3)
「こないして、並んで歩いてるところ看(み)ィはった人は、姉弟(きょうだい)、おもわはるやろなぁ。好きどうしやしったら、驚かはる」
月輪尼(がちりんに 23歳)は、初めての並んでの外歩きに、気持ちが昂(たかぶ)っていた。
六ッ(午後6時---というより日没時)に近いかわたれどきで、上背は辰蔵(たつぞう 14歳)が2寸(6cm)は高かったし、提灯にはまだ灯をいれてなかったから顔をたしかめる者はいず、尼僧のほうが齢上とは察しがつかなかったろう。
月輪尼には、齢が9つも下の徳川の武家の子と並んで歩いている快感があった。
小石川清水谷で提灯の灯を借り、伝通院の参道前から安藤坂をくだるときには暗闇をいいことに手をつなぎ、小石川門から三崎稲荷社の脇路地のぜんざい屋〔若桜(わかさ)〕の2階の小座敷へあがった。
「半刻(はんとき 1時間)は100文(4000円)であったな?」
月輪尼がくれた2朱銀(2万円)を、辰蔵がものなれたふうな口調でわたすと、小女は愛想笑いもしないで、
「お釣りは、ぜんざいをお持ちしたときにしますか、お帰りのときに清算なさいますか?」
意味をとりかねた辰蔵がまごつていると、気をきかせた月輪尼が
「帰りの清算に---」
小女が降りていったのをたしかめてから、
「こないな店やと、初めに告げたのより延ばす客が多いんやないの」
小座敷の隅にたたんである布団と枕を見ながら月輪尼が笑った。
「初めてあがったもので---」
「そんな辰はんが、うち、好き。可愛い---」
ぜんざいがくるまで、神田川を上下する行灯に灯をいれた荷舟を窓から眺め、お互い尻をさぐりあった。
ぜんざいがきても、食後に口がすすげないことに気づき、どちらも手をつけなかった。
「袴を脱いで---」
月輪尼は、すでにその場面を描いていた。
「ふとんにもたれ、脚をのばして---」
辰蔵の着物を割りひろげ、自分も法衣の裾をまくりながら、
「こんなんやったら、庵で---」
いいかけ、それではうぶな辰蔵の志を無にすると気づき、
「庵でとは、違うた気分で楽しめそう---」
しっかり、半刻近くつぶし、帰りぎわにだされた釣りから15文(600円)を小女につかませたのも月輪尼であった。
護持院まで送りながら、
「近くの雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕で精進料理をたのしむのだった---」
「次に、行きまひょ。でも、いい世間勉強にもなりましたぇ」
大人ぶる辰蔵が、それこそ、抱きしめたいほど、月輪尼には可愛くおもえた。
庵に入りながら、『父母恩重(おんぢゅ)経』の一節を読経していた。
[母は児(こ)を見て歓び児は母を見て喜ぶ]
【参照】2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
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コメント
14歳の辰蔵が23歳の尼に好意をもたれて懇ろになるのは、長谷川家の男に受け継がれている家風ですかね。
いや、辰蔵にとって曽祖父の宣有は看病にきた浪人のむすめでした。祖父の宣雄は村長のむすめでした。
宣以と辰蔵が・・・いや、祖父の宣雄も海女に可愛いがられましたな。アマです。3代つづいてのアマかかわりとみるのか、自活女性に選ばれると見たほうがいいのか?
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.08.22 05:49
>文くばりの丈太 さん
おめでとう---かな。
コメント3,000ヶをおふみになりました。
ずっとコメントをお寄せいただき、ありがとうございました。どんなにはげましになりましたことか。篤くお礼を申し上げます。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿: ちゅうすけ | 2011.08.23 07:31