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2011.08.26

辰蔵と月輪尼(がちりんに)(7)

舟上の月輪尼(がちりんに)は、顔を隠すための網代笠(あじろがさ)をときどきあげては、1枚だけはずされた障子のあいだからのぞのける、路上からとは異なる江戸の眺めに嘆声をもらしつづけた。

こときとばかりと辰蔵(たつぞう 15歳)が、くぐりぬける橋やあれこれの建物を講釈する声を、老練な船頭・辰五郎(たつごろう 55歳)が耳にいれながら笑顔で合点していた。

舟は、母体のためにゆれが少なく寒風も吹きこない中型の屋根舟を権七(ごんしち 52歳)が手くばりした。

_150この日の月輪尼は、白衣の上に墨染めの法衣をまとい、淡い色の頭巾でつつんだ、ふつうのの尼僧姿であった。
そのために、色白でととのった公家顔が引きたち、齢も2,3歳若くみせていた。

辰蔵の母・久栄(ひさえ 32歳)によい印象をもってもらいたいとのこころばえであったろう。

大川から竪川(たてかわ)を東行し、横川へはいるとすぐに菊川橋であった。
町名は、遠江国の菊川郷の武士たちが賜ったことによると、いわなくてもいい講釈をしたのは、辰蔵も嬉しくて仕方がなかったのであろう。

菊川橋のたもとでは、松造(よしぞう 35歳)が出迎えた。 
一人でも多く顔見知りがいたほうが、月輪尼がくつろごうとの、平蔵(へいぞう 39歳)のこころくばりでもあった。

その松造辰蔵に耳打ちした。
「門番たちの目をごまかすために、若は、寸時遅れて独りでお帰りになるようにとの、殿のおいいつけで゜ございました」

月輪尼を先導した。
菊川橋から長谷川邸は1丁(100m余)の距離しかなかった。

松造が案内していたので、門番は目礼したのみで通した。

書院には、平蔵久栄(ひさえ 32歳)と(たえ 59歳)がいた。

が口をきった。
「齢寄りは気が短くてのう、辛抱ができませんのじゃ」

歯抜けの口でもぐもぐとしゃべったことの要点を記すと---、
長谷川家は、の亡夫・七代目から本筋ではなくなったが、その経緯は、五代目の末弟・宣有(のぶあり)どのが病身で、養子にでられず兄の厄介になっておったが、看病にきていた備中・松山藩の浪人・三原なにがし氏のむすめごに婚儀もしないで手をつけ、生まれたのが、のちに七代目を継いだ宣雄(のぶお 享年55歳)で、京都東町奉行にまで出世した人であった。

七代目・宣雄は20歳代の後半、まだ厄介の身分で、の実家・上総(かずさ)国武射郡の知行地、寺崎村の村長(むらおさ)の戸村五左衛門の離れに寄宿し、新田開発の指導をあたっているうち、身のまわりの世話をしておった(20歳)に、婚儀ぬきで、銕三郎(てつさぶろう)をはらませた。

いや、宣雄は2年まえから乳くりあい、村長の家でもあきらめていたのだが、ややができたらほってはおけない。

は家女の身分でふくらんだお腹をつきだし、宣雄にくっついて赤坂築地の家で銕三郎を産んだ。
長谷川家直系の六代目・宣尹(のぶたた 32歳=当時)は、病気がちの叔父・宣有とその子の宣雄(27歳=当時)の母 、宣雄の手つき娘・のお腹の子---すなわち現在の八代目・平蔵宣以と、厄介の3階建てをしょいこんだ。

病気がちで出仕も休みがちであった六代目・宣尹は、2年後に病没、厄介であった従弟・宣雄(30=当時)が、宣尹の実妹・波津(はつ 30歳=当時)の婿養子となって家禄を継いだ。

参照】2008年4月8日~[寛政重修諸家譜] (14) (15) (16) (17) (18

「つまり、長谷川の家系は、六代目・宣尹という直系から、五代目の末弟・宣有(のぶあり)の、婚儀をしないでややをつくる系統へ移ったというわけ。

だから、ここに控えおる、八代目として将来を嘱目されておる平蔵宣以(のぶため)も、18歳のときに、縁切り寺へ入って尼になる人妻(21歳=当時)に、ややをつくってしまった。
その尼は、鎌倉の東慶手とかいうところで無事にややを産ませてもらった。

そうしたら、またも、比丘尼さんがやや、ときた。
長谷川側は、15歳の辰蔵
銕三郎 の18歳よりも、3つも若がえっている。

月輪尼が産む子が男子だったらその子、12歳でややをつくることになるのか(苦笑)。

月輪尼が端正な顔に笑いをうかべた。

ちゅうすけ注】の予想を裏切り、月輪尼が産んだのは女子であったとおもわれる。

参照】2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] () () () () () () () (


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006長谷川辰蔵 ・於敬(ゆき)」カテゴリの記事

コメント

お妙婆さまの口を借りての、長谷川家の継ぎ木の人脈、理解しやすいです。

投稿: tomo | 2011.08.26 06:47

ここのところが、小説と史実の違いです。

投稿: ちゅうすけ | 2011.08.27 17:20

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