辰蔵と月輪尼(がちりんに)(6)
「そうか、ややをつくったか---」
辰蔵(たつぞう 15歳)から月輪尼(がちりんに 24歳)の懐妊をうちあけられた平蔵(へいぞう 39歳)は、しばらくは遠くを眺めるような目つきで、つづく言葉を掌で制した。
「奥とともに聴きたい」
辰蔵が母に声をかけに去っても、しばらく呆然としていた。
20年ほど前に、阿記(あき 21歳=当時)の口から「身ごもったかもしれない」といわれた夜のことを回想していたからであった。
【参照】2008年2月1日~[与詩(よし)を迎えに] (38) (40) (41)
2008年3月19日~[於嘉根(おかね)という名の女の子] (1) (2) (3 (4)
「辰蔵の種を宿したのは比丘尼どのでな、いささか、厄介ではある」
久栄(ひさえ 32歳)は、泰然と聞きながし、
「辰蔵にも、そのような甲斐性がありましたか」
「おいおい---」
場違いな合いの手を平蔵が発した。
察するに旅荘〔甲斐山〕でのお専(せん 25歳)とのことを持ち出されたと勘違いでもしたか。
しかし、お専の昂ぶりを鎮めたことをとがめるなら里貴(りき 40歳)であろう。
平蔵どの、月輪尼の懐妊によほどに混乱したとみえる。
「なにはともあれ、ご本人からお覚悟をお聴きせぬいことには、なにごともすすみませぬ」
「覚悟---」
母の言葉に、辰蔵が息を呑んだ。
「なにをうろたえているのです。ややを孕んだのは色欲を禁じられている尼僧ですよ。その父ごが長谷川の嫡男としれたら、世間はなんと噂しますか」
「そうじゃな、秘さねばならぬ。だれか、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 52歳)どんに足労を頼んでくるように---」
咄嗟に反応したのは、さすが、平蔵であった。
「若に、ややが---それは祝着至極になこと」
こぼれんばかりの笑顔で辰蔵を瞶(み)た。
「それが、ちと、他人目をはばかるお人でな」
大塚の護持院前から屋敷まで駕篭を頼むというと、孕み月を訊き、
「そのころが、いちばん流れやすいのでやす。山駕篭や長駕篭はよくありやせん。江戸川橋から菊川橋まで黒舟にいたしやしょう。江戸川橋まではお歩きになったほうが、お腹(なか)のややのためにはよろしいかと」
山駕篭での見聞きが豊富だったことを示した。
「護持院から舟までは拙が添います」
「あたりj前のことを口にするでない」
平蔵が久栄の手前、辰蔵を叱った。
その夜、平蔵の寝間では、久栄が、
「血筋はあらそえませぬ」
「なにをいうか、久栄の躰にお徴(しるし)を---とねだったくせに---」
【参照】2008年12月18日~[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] (1) (2) (3) (4)
「いいえ。尼僧好みの旧悪をいっております」
【参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
2011年1月21日[日信尼の煩悩]
| 固定リンク
「006長谷川辰蔵 ・於敬(ゆき)」カテゴリの記事
- 月輪尼の初瀬(はせ)への旅(4)(2011.11.05)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(4)(2011.11.26)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(2)(2011.11.24)
- 月輪尼、改め、於敬(ゆき)(3)(2011.11.25)
- 養女のすすめ(7)(2007.10.20)
コメント
さすが、四児の母ご、久栄さん、落ち着きはらっているばかりか、辰蔵の不始末にかこつけて、夫・平蔵の不倫の古傷にあてつけてちらつかせるまでに、武家の妻として完成しましたね。
投稿: mine | 2011.08.25 06:00