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2011.08.25

辰蔵と月輪尼(がちりんに)(6)

「そうか、ややをつくったか---」
辰蔵(たつぞう 15歳)から月輪尼(がちりんに 24歳)の懐妊をうちあけられた平蔵(へいぞう 39歳)は、しばらくは遠くを眺めるような目つきで、つづく言葉を掌で制した。

「奥とともに聴きたい」
辰蔵が母に声をかけに去っても、しばらく呆然としていた。
20年ほど前に、阿記(あき 21歳=当時)の口から「身ごもったかもしれない」といわれた夜のことを回想していたからであった。

参照】2008年2月1日~[与詩(よし)を迎えに] (38) (40) (41
2008年3月19日~[於嘉根(おかね)という名の女の子] () () ( (
  
辰蔵の種を宿したのは比丘尼どのでな、いささか、厄介ではある」
久栄(ひさえ 32歳)は、泰然と聞きながし、
辰蔵にも、そのような甲斐性がありましたか」

「おいおい---」
場違いな合いの手を平蔵が発した。

察するに旅荘〔甲斐山〕でのお(せん 25歳)とのことを持ち出されたと勘違いでもしたか。
しかし、おの昂ぶりを鎮めたことをとがめるなら里貴(りき 40歳)であろう。
平蔵どの、月輪尼の懐妊によほどに混乱したとみえる。

「なにはともあれ、ご本人からお覚悟をお聴きせぬいことには、なにごともすすみませぬ」
「覚悟---」
母の言葉に、辰蔵が息を呑んだ。

「なにをうろたえているのです。ややを孕んだのは色欲を禁じられている尼僧ですよ。その父ごが長谷川の嫡男としれたら、世間はなんと噂しますか」

「そうじゃな、秘さねばならぬ。だれか、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 52歳)どんに足労を頼んでくるように---」
咄嗟に反応したのは、さすが、平蔵であった。


「若に、ややが---それは祝着至極になこと」
こぼれんばかりの笑顔で辰蔵を瞶(み)た。

「それが、ちと、他人目をはばかるお人でな」
大塚の護持院前から屋敷まで駕篭を頼むというと、孕み月を訊き、
「そのころが、いちばん流れやすいのでやす。山駕篭や長駕篭はよくありやせん。江戸川橋から菊川橋まで黒舟にいたしやしょう。江戸川橋まではお歩きになったほうが、お腹(なか)のややのためにはよろしいかと」
山駕篭での見聞きが豊富だったことを示した。

「護持院から舟までは拙が添います」
「あたりj前のことを口にするでない」
平蔵久栄の手前、辰蔵を叱った。

その夜、平蔵の寝間では、久栄が、
「血筋はあらそえませぬ」
「なにをいうか、久栄の躰にお徴(しるし)を---とねだったくせに---」

参照】2008年12月18日~[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] () () () (

「いいえ。尼僧好みの旧悪をいっております」

参照】2009年10月12日~[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () () () () (

2009年10月19日~[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () () (10

2011年1月21日[日信尼の煩悩

2011年08月20日~[辰蔵と月輪尼(がちりんに)] () () () () () () () (

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コメント

さすが、四児の母ご、久栄さん、落ち着きはらっているばかりか、辰蔵の不始末にかこつけて、夫・平蔵の不倫の古傷にあてつけてちらつかせるまでに、武家の妻として完成しましたね。

投稿: mine | 2011.08.25 06:00

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