与詩(よし)を迎えに(41)
阿記(あき 21歳)が入山する尼寺・東慶寺は、鎌倉5山の第2---円覚寺の南にあった。
『東海道名所図会』から要点を拾うと---。
松岡と号す。禅宗比丘尼住職す。開基は北条時宗(ときむね)の室、秋田城介(じょうすけ)の娘にして潮音院覚山志道尼と号す。第廿世の住職は豊臣秀頼(ひでより)公の息女にて、天秀泰(てんしゅうたい)和尚という。時に八歳。
「縁切り」のことは記してはいない。
衣装を替えるために、近くの旅籠〔小町屋〕の部屋を借りた。
着替えた阿記は、観念したように寺門をくぐろうとしかけて、銕三郎(てつさぶろう)のもとへきて、
「お願いですから、今夜一と晩、旅籠にお泊りおきくださいませんか?」
「夕暮れも近い。そうするつもりでいる」
返事をえると、決心したように、門をくぐった。
銕三郎たちが夕食を終えたころ、阿記がやってきた。
丸めた頭の青さが、銕三郎の目には、ひときわ艶(なま)めいて映った。
「どうかしたのか?」
「得度(とくど)の前に、この姿をお目にかけたくて、1刻ほどの許しをいただいてきました」
藤六(とうろく 45歳)が気をきかせて、与詩(よし 6歳)を連れて、部屋を出ていった。
待ちかねていたかのように、阿記が抱きついてきた。
「いまいちどの、福をください」
銕三郎も、異様な興奮をおさえきれなくなった。
(国芳『枕辺深閨梅』)
衣服の乱れを整えた阿記は、深ぶかと礼をして、
「これで、730夜の煩悩に耐えることができそうです」
そう言って、微笑み、出て行った。
銕三郎は、掌中の珠が消えたような喪失感を味わっていた。これほどに痛みが大きく深いとは、予期していなかった。
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