本陣・〔中尾〕の若女将お三津(5)
「どんなみだらが教われるの?」
お三津(みつ 22歳)が、双眸(りょうめ)をかがやかせながら問いかけた。
風呂からあがった、裸のままであった。
「手鏡はあるか?」
燭台の芯を高め、明かりを強くしてから、手鏡を開いた太股のあいだにかざし、
「自分のものを見よ」
「ああ---」
「両手の指で、割れ目を開け。なにがみえるか?」
お三津の声は上ずっていた。
「濡れて、光ってる」
「閉じて、また開け」
肉が重なる小さな音がこぼれた。
自分の指で開いて、離して---くりかえしを鏡でみているうちに、お三津の双眸がすわり、みだらな光になってきた。
「みだら---か」
「すごい、みだら」
「中指を入れてみよ。目を閉じるな」
指がおそるおそる入った。
「中で動かしてみよ」
「みだら---とっても、みだら」
「だして、また、入れよ」
「みだら---」
「濡れた指で、上の豆に触れてみよ」
「これ、みだら。昂まる」
「入れよ。動かせ」
「あ。ここ、みだら」
男の指が乳頭をなぶりはじめたが、鏡は、しっかりとお三津の指の動きを映していた。
指の動きが自然に早まった。
その手を払いのけ、男のものが、入り口に接した。
お三津の指がつかみ、導こうとあせるが、先端は、入り口にとまったまま、濡れて光っていた。
「見ているか?」
{みだら、すぎ」
「半分、入るところを見よ」
「見た、みだら---あ、でる。しずく、垂れてる。ものすごく、みだら」
「耕している」
「わかる。感じすぎ」
行為を確かめている自分の声に酔っていた。
鏡で、根元まで入ったところで、お三津はすでに達してい、そのあとは無我夢中の狂態であった。
2度目の大みだらのあと、お三津がしみじみと告白した。
「究めたあとって、頭からもやもやが消え、冴えわたるのだわ」
「明日のみだらのために、長火鉢の蓋を、出入りの棟梁につくらせておけ。暖かくなったから蓋をするのだ、とでもいってな」
「どんな、みだらを教わるのか、興味津々。六ッ(午後6時)までには作らせます」
堪能しつくしたお三津は、それでも左腕を平蔵の下腹に乗っけ、こちらを向いて寝息をつづけていた。
その若さが満ちた顔を眺め、
「妙なものだ」
平蔵は、おのれのヰタ・セクスアリスを反芻していた。
15も齢下の女躰と出事(でごと 交合)をしたことは、なかった。
(そういえば、おまさは11歳下であったが、考えもしなかった)
齢下といっても、お三津は3年も夫と寝所をともにしてきていた。
それでいて、熟れきってはいなかった。
だから、つい、
「耕そう」
などといってしまった。
そういえば、久栄(ひさえ 17歳=当時)は未通で嫁してきたが、あとはみんな、それなりに経験者であり、ほとんど齢上であった。
もちろん6歳齢上ではあったお竜(りょう 29歳=当時)は、男を入れたのはおれが初めてであったから、半未通というべきか。
【参照】2008年11月17日宣雄の同僚・先手組頭[http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2008/11/post-2888.html] (8)
その前に性技をあれこれ仕込んでくれたお仲(なか 32歳=当初)は、12歳年長らしく、教えながら自分もとことんむさぼっていた。
【参照】[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
楽しみつつ深めあっている里貴(りき 29歳=当初)とは、離れていた2年も入れてもう足かけ9年になる。
男とおんなとしてもありながら、人生の盟友といった間がらがつづいている。
37歳ーーー人生の半(なか)ばを過ぎて、ふってわいたように、お三津を耕してやる立場になった。
(あすは、お三津にいってやろうか。うんと齢下のを男にしてやる楽しみもあるぞ、と)
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