日野宿への旅(2)
「奈々は、おととしの初夏に紀州からきたきり、どこも見ないで働きづめであった。われが甲州路の府中宿・芝崎村の普済寺の六面塔に招待する」
「わあ。深大寺のお蕎麦も食べる?」
(深大寺蕎麦 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
【参照】2008年9月8日~[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜] (2)
平蔵(へいぞう 40歳)は、妻・久栄(ひさえ 33歳)との出会いが深大寺であったことを思いだし、ちくりと心がとがめたが、ここは奈々(なな 18歳)に報いておくべきだと考えなおし、
「食べよう。そのあと、府中に一泊する」
「夜じゅう、いっしょに眠るの?」
「そうだ」
(里貴(りき 逝年40歳)も、中山道・蕨宿での2泊をことのほか満喫した。
【参照】2011年3月9日~[与板への旅] (4) ) (18)
(いや、お竜(りょう 享年33歳)さえも、掛川から相良への泊まりがけの山あいの旅を一生の思い出になると喜んだ。おんなはひと晩の同衾でこころが寛(くつろ)ぐものらしい)
【参照】2009年1月25日[ちゅうすけのひとり言] (30)
「裸馬を乗りこなすのはまだ早いから、往還は馬丁の幸吉(こうきち 20歳)に口をとらす」
「野袴は?」
「もちろん着用。それと、帰りの道中の安全のために、男物の小袖があるといいのだが---」
「男ごしらえ、すんの?」
「剃り眉、鉄漿(おはぐろ)の青年剣士など、聞いたこともない---」
「そやね---」
そんな話をしながら帳場で待っていると、南割下水永倉町の代官・江川太郎左衛門の江戸詰所へ一件書類の写しをとりにいっていた松造(よしぞう 34歳)が戻ってきたので、
「明朝六ッ半(午前7時)に迎えくるから、今夜はたっぷりと眠っておくように---」
「うん。そやけど、蔵(くら)さんからの眠りぐすり1ヶ、欲しいとこやなあ」
「ばか。松が笑っておるではないか」
明かるくなるのが早くなってきていたから、ほんとうは六ッ(午前6時)といいたかったが、おんなは外出(そとで)となると化粧(けわい)に刻(とき)をかけるから、六ッ半にゆずった。
府中の旅籠〔中屋〕平兵衛方へ、2部屋---うち1つは離れ部屋を押さえる速飛脚を、蔵前の飛脚屋から届けさせるように松造に手くばりさせ、屋敷への帰り道、ふと気づいた。
これは、単純な迷い子捜しではないのではなかろうか?
【参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)
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コメント
奈々さん、多摩地区への旅、いいなあ。しっかり楽しんできなさい。
投稿: tomo | 2011.10.10 06:27
>tomo さん
北多摩への一泊の旅、奈々以上に悦んだは月魄(つきしろ)のほうかも。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.10 09:18