日野宿への旅(9)
「今宵、四ッ(午後10時)、子どもの母親が独りで府中の六所明神社のニノ鳥居へ、百両(1600万円)と引きかえに子どもをわたす」
でたらめな字で、こう記されてしいた。
読むなり、平蔵(へいぞう 40歳)は、松造(よしぞう 34歳)に先刻の落水(おちみず)村へ急ぎ、お染(そめ 26歳)と子守りのお鈴(すず 11歳)、長(おとな)の聡兵衛(そうべえ 60がらみ)どのを連れてこい。お染がまっさきだぞ。尾行に気をつけろ」
事情を察した松造は、すばやく刀を帯び、瀬戸口から出ていった。
「若松うじ。本陣(ここ)の主人・佐藤うじに硯と筆をもってきてもらってくれ」
うろたえる代官所の手代・三平(さんぺえ)に、
「強請(ゆす)られておるのはおぬしではない。落ちつけ---」
平蔵は、本陣の主(あるじ)にざっと事情を話し、問屋場の役人をこっそり呼ぶように---出入りは裏口からとつけたした。
さらさらと書状を2通認(したた)め、
「八王子の千人同心頭(がしら)で存じよりの仁は---?」
「窪田兵左衛門どの---」
くぼたは大久保のくぼか、窪みのくぼか、兵左衛門のへいは兵糧(ひょうろう)のへえか、平地のへえかと問い、
宛名を記すと、こちらは千人頭、こちらは八王子陣屋へすぐに届けよと命じた。
わたす時に示すようにと、月番の寺社奉行・松平右京亮輝和(てるやす 36歳)の念書をそえ、
「これは大切に持ち帰れよ」
念をいれた。
八王子千人同心頭は10人いた。
その1人が窪田兵左衛門であった。
配下はそれぞれ100人ずつで、20名ごとに班をつくっていた。
本陣の番頭には、百草(もぐさ)村の松蓮(しょうれん)寺の大和尚・竺川(ちくせん 40歳)に、寺社奉行の代理の長谷川が本陣で待っておるから、持つべきものをもっくるようにと伝えるように、いいつけた。
問屋場の頭取には、今宵、暗くなってから渡し舟と荷船を何艘手配できるか訊き、寺社奉行の命令であると指令した。
さらに本陣の主人に、握り飯と沢庵を100人分ほど用意しておくようにいいつけた。
すべての手くばりが終わったのは七ッ半(午後5時)であった。
六ッ(午後6時)前に、聡兵衛とお染たちが到着した。
「先刻は、なにかとご教示、かたじけなく---」
「こんなに早く再会できるとは、おもいもかけませんでした」
総兵衛は事件にかかわれ、ご機嫌であった。
お染に脅迫状を見せ、内容を解説し、まもなく、大和尚も100両を持参してあらわれようほどに卯作(ぼうさく 6歳)は戻ってくるというと、さして安堵したふうでもなく、平蔵を好色な眼(まな)ざしいで仰いだが無視、お鈴にやさしく問いかけていた。
「卯作が、程久保(ほどくぼ)川から、遊び場所を浅川べりへ移したのは、いつからかな?」
「7日前に見知らぬ男の人が大きな熊笹の葉をみせ、これでつくった舟は浅川で流せると教えてくれただよ」
「やっぱりな---」
「殿。そいつが一味ですか?」
松造が訊いた。
「多分な。程久保川では、水かさが少ないから舟の自由がきかない」
「そやったら、卯作は舟で連れていかれたん?」
「そのとおり。今夜も、舟でくるであろうよ」
「お鈴。その熊笹の男は、卯作の前でかがまなかったか?」
「しゃがんだだよ。笹舟をわたしそこねて落とし、拾おうとして---」
「鼻緒に切れ目をいれたのだ」
「あいつめ! 畜生!」
「まさに、畜生だよ」
【参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10) (11) (12)
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