日野宿への旅(11)
四ッ(午後10時)が近くなった。
提灯一つを手にした平蔵(へいぞう 40歳)は、子守りのお鈴(すず 11歳)を伴い、六所明神宮のニノ鳥居の陰にいた。
「お鈴。怖いことは一つもない。目を凝らして卯作(ぼうさく 6歳)かどうかしっかり見さだめよ。卯作だったら---」
「卯作さまの右の手を引いて帰る」
「男の児が卯作でなくても、そしらぬふりで、左手を引く---」
「はい」
千人頭(がしら)の窪田平左衛門(へいざえもん 51歳)原六右衛門(ろくえもん 40歳)は、それぞれの1班ずつが潜(ひそ)んでいる東の馬場(細馬(せんば))と西の馬場(駆馬(かけば))へ、明かりもつけずに別れていった。
あと3班は、多摩川べりの富士の森と、中洲をはさんだ向う岸辺に舫(もや)った2艘の小舟に隠れていた。
安養寺の鐘楼であろうか、意外に近くで四ッを告げる鐘が鳴り、お鈴が身ぶるいをした。
「落ちつくんだ」
ささやきで平蔵が励まし、細い肩に掌をのせた。
20歩先で付け木から提灯に灯をうつす気配があり、3人と子どもが浮かびあがった、
平蔵とお鈴が鳥居の蔭からでた。
「おっ、母ご独りでこいと書えたぜ」
子供を抑えていた男がわめいた。
「お染(そめ 26歳)は気が動転していて歩けぬ。代わりに子守りのお鈴が受けとりの役目を果たす。われは、寺社奉行・松平右京亮(すけ)どのの代理の、長谷川平蔵というも者だ。そちらが、要求書を松蓮寺へとどけたから、寺社奉行が出張ることになったのだ。
さて、こちらが名乗ったからには、そちらにも名乗りをあげてもらいたいが、頼んでも無理であろう。では、お鈴に金袋を持たし、双方の中央に置き3歩引く。そうしたら男の児を歩かせ、金袋のところをすぎたら、1人だけ前に出て金袋の中身をたしかめよ。要求どおりのものであったら、双方、別れよう」
前へでた男の児の左手をしっかりとにぎったお鈴は、そのまま動かないで賊が金袋の中身をあらためるのをまばたはもしないで瞶(みつめ)ていた。
身ぶるいもしていなかった。
(少女時代のおまさのように肝がすわっておるむすめだ)
脇で、かなたに去る気配がした。
窪田組の同心が富士の森へ走ったのであろう。
おそらく、闇の中でも目がきく修行をしていた男であったろう。
金包みを持った男が仲間の位置へ戻ると、提灯が消され、あたりは闇に溶けた。
平蔵は隠していた火縄から提灯を点した。
お鈴が、にぎっていた男の児の手をはらった。
「お鈴。よくやった」
「この児(こ)、卯作さまではない」
「わかっておる。もうすぐ、卯作は助ける」
次の手は、明朝だ。
【参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] (1) (
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コメント
>(少女時代のおまさのように肝がすわっておるむすめだ)
舞台なんかでも、どたんばになると子どものほうが肝がすわっていることがありますね。
お鈴もそうした子だったんでしょう。そういえぱ、おまさもそうでしたね。ただ、久栄の出現で銕三郎をあきらめはしましたが。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.10.19 09:03
>文くばりの丈太 さん
肝がすわっているというのは、生まれつきもあるかもしれませんが、ほとんどは生後の教育ではないでしょうか。おまさは父親から、お鈴は田畑をつくっている父母からしつけられたとおもいます。お鈴の場合は、村長の聡兵衛の郷人にたいする接し方も影響したかもしれません。
毅然とした村長です。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.19 16:59