日野宿への旅(10)
百草(もぐさ)村の黄檗(おうばく)宗の大和尚・竺川(ちくせん 40歳)がでっぷり肥えた躰にわざわざ緋の法衣を召し、赤ら顔をほてらせてはいってきた。
「長谷川たらいう、お寺社の使いはどれや---?」
お染(そめ 26歳)があわてて袖を引き、視線で平蔵(へいぞう 40歳)を指した。
「われが長谷川でござる。寺社お奉行・松平右京亮(うきょうのすけ 36歳 高崎藩主)侯の代理でまいったことは、すでに京都所司代と貴僧の総本山へ速飛脚をたてておられるゆえ、いずれ、沙汰が届きましょうぞ」
平蔵の厳然とした態度に、竺川大和尚は黙し、持参した金袋らしいもをお染へ惜しそうに手わたした。
「大和尚どのにお伺いいたす。貴僧のごとき高僧を強請(ゆす)るのに、ただの100両(1600万円)とはけちったとおおもいにならぬかの?」
竺川は返答に窮し、赤ら顔をさらに紅潮させるばかりであった。
「これには、企みがあると考えるが至当でござろう」
落水(おちみず)村の聡兵衛老がうなずいたのを目にいれた竺川は、不安げにお染を見返した。
「されば、犯人どもの企みを見究(みきわ)めるために、その100両は、とりあえず、今宵は相手にわたすとご観念おきくだされ」
大和尚がうらめしそうに睨んだとき、本陣の主(あるじ)が平蔵に耳打ちした。
うなずいて、聡兵衛をうながして別室へ消えた。
竺川が子守りのお鈴(すず 11歳)に小言をぶちまけているのを耳にした平蔵が、本陣の主人にお鈴を連れてくるように頼んだ。
奥まった別室で、(八王子)千人(同心)頭(がしら)の窪田平左衛門(へいざえもん 51歳)がもう一人の同輩・原六右衛門(ろくえもん 40歳)を平蔵に引きあわせ、さらに5名の班頭(はんがしら)たちをまとめて紹介した。
「ご承知とおもうが、1組100名は、20名ずつの班に分かれております。今宵は、書状にありましたとおり、うちの組から3班、原どのの組から2班を動かします」
「かたじけない。槍お奉行へは、問屋場から速飛脚をたてておきました」
八王子千人同心は、槍奉行に直属していた。
「当方からも、お奉行へ陣触れのこと、報告してあります。おこころおきなく采配をおとりくだされ」
千人頭は200俵であったから、400石でしかも1000石高の徒頭(かちのかしら)の平蔵の地位ははるかに上であった。
平蔵は、お鈴を引きあわせ、
「お鈴が卯作(ぼうさく 6歳)の受けとるのと金袋のわたし役を勤めます。お鈴が男の児の右手を引いて帰ってきたら本物の卯作だから、多摩川の岸辺で賊たちを取り押さえていただく。お鈴が左手を引いていたら男の児は偽者だから、こっそり賊の舟を尾行し、ねぐらをつきとめるだけにし、次の救出策をとります」
窪田千人頭が聞いた。
「賊は何人ほどと、長谷川どのは見ておられましょうや?」
「さよう、100両という身代金をどう読むか、ですな。勾引(かどわか)しは死罪ときまっておる。100両の身代金をどうわけるか。首領(かしら)が半分はとろう。のこりを何人でわけるか---10両(160万円)の盗みで死罪であるから多くて5人、船頭役や見張り役をいれて5人の手下とみておけばよろしかろう」
班頭たちは、100人分のにぎり飯をもって配置についた。
副官格の窪田と原に平蔵が、ここは現場に遠すぎるから、基点を府中宿の本陣へ移そうといい、松造、若松、お鈴、聡兵衛老を3組に分け、裏手から闇の中へでた。
大和尚・竺川とお染は待つように説き伏せられた。
【参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] (1) (
2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (11) (12)
| 固定リンク
「001長谷川平蔵 」カテゴリの記事
- 口合人捜(さが)し(5)(2012.07.05)
- 口合人捜(さが)し(3)(2012.07.03)
- 口合人捜(さが)し(4)(2012.07.04)
- 口合人捜(さが)し(2)(2012.07.02)
- 口合人捜(さが)し(2012.07.01)
コメント