« 日野宿への旅(9) | トップページ | 日野宿への旅(11) »

2011.10.18

日野宿への旅(10)

百草(もぐさ)村の黄檗(おうばく)宗の大和尚・竺川(ちくせん 40歳)がでっぷり肥えた躰にわざわざ緋の法衣を召し、赤ら顔をほてらせてはいってきた。

長谷川たらいう、お寺社の使いはどれや---?」
(そめ 26歳)があわてて袖を引き、視線で平蔵(へいぞう 40歳)を指した。

「われが長谷川でござる。寺社お奉行・松平右京亮(うきょうのすけ 36歳 高崎藩主)侯の代理でまいったことは、すでに京都所司代と貴僧の総本山へ速飛脚をたてておられるゆえ、いずれ、沙汰が届きましょうぞ」

平蔵の厳然とした態度に、竺川大和尚は黙し、持参した金袋らしいもをおへ惜しそうに手わたした。

「大和尚どのにお伺いいたす。貴僧のごとき高僧を強請(ゆす)るのに、ただの100両(1600万円)とはけちったとおおもいにならぬかの?」
竺川は返答に窮し、赤ら顔をさらに紅潮させるばかりであった。

「これには、企みがあると考えるが至当でござろう」

落水(おちみず)村の聡兵衛老がうなずいたのを目にいれた竺川は、不安げにおを見返した。

「されば、犯人どもの企みを見究(みきわ)めるために、その100両は、とりあえず、今宵は相手にわたすとご観念おきくだされ」

大和尚がうらめしそうに睨んだとき、本陣の主(あるじ)が平蔵に耳打ちした。
うなずいて、聡兵衛をうながして別室へ消えた。

竺川が子守りのお(すず 11歳)に小言をぶちまけているのを耳にした平蔵が、本陣の主人におを連れてくるように頼んだ。


奥まった別室で、(八王子)千人(同心)頭(がしら)の窪田平左衛門(へいざえもん 51歳)がもう一人の同輩・原六右衛門(ろくえもん 40歳)を平蔵に引きあわせ、さらに5名の班頭(はんがしら)たちをまとめて紹介した。
「ご承知とおもうが、1組100名は、20名ずつの班に分かれております。今宵は、書状にありましたとおり、うちの組から3班、どのの組から2班を動かします」
「かたじけない。槍お奉行へは、問屋場から速飛脚をたてておきました」

八王子千人同心は、槍奉行に直属していた。
「当方からも、お奉行へ陣触れのこと、報告してあります。おこころおきなく采配をおとりくだされ」

千人頭は200俵であったから、400石でしかも1000石高の徒頭(かちのかしら)の平蔵の地位ははるかに上であった。

平蔵は、おを引きあわせ、
「お卯作(ぼうさく 6歳)の受けとるのと金袋のわたし役を勤めます。おが男の児の右手を引いて帰ってきたら本物の卯作だから、多摩川の岸辺で賊たちを取り押さえていただく。おが左手を引いていたら男の児は偽者だから、こっそり賊の舟を尾行し、ねぐらをつきとめるだけにし、次の救出策をとります」

窪田千人頭が聞いた。
「賊は何人ほどと、長谷川どのは見ておられましょうや?」
「さよう、100両という身代金をどう読むか、ですな。勾引(かどわか)しは死罪ときまっておる。100両の身代金をどうわけるか。首領(かしら)が半分はとろう。のこりを何人でわけるか---10両(160万円)の盗みで死罪であるから多くて5人、船頭役や見張り役をいれて5人の手下とみておけばよろしかろう」

班頭たちは、100人分のにぎり飯をもって配置についた。

副官格の窪田平蔵が、ここは現場に遠すぎるから、基点を府中宿の本陣へ移そうといい、松造、若松、お聡兵衛老を3組に分け、裏手から闇の中へでた。

大和尚・竺川とおは待つように説き伏せられた。

参照】2011年10月9日~[日野宿への旅] () (
) () () () () () () () (11) (12

|

« 日野宿への旅(9) | トップページ | 日野宿への旅(11) »

001長谷川平蔵 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 日野宿への旅(9) | トップページ | 日野宿への旅(11) »