明和2年(1765)の銕三郎(その4)
「下谷(したや)新黒門町、庄平店(だな) 無職・勝次」
高井同心が読みあげる。
白洲に引きすえられている勝次が、「へえ」と頭をさげる。
火盗改メ・役宅の白洲は、幅1間半(2m70cm)、奥行き2間半(4m50cm)と小さい。5人も並ぶとはみ出そうなほど。
「同じく新黒門町 新助店 講釈師・貞鵬(ていほう)こと貞五郎」
「へい」
あと、3人の附紙賭博の犯人の名が確認された。
当番与力・徳田力兵衛(りきべえ 43歳)が訊問にとりかかる。
「勝次。その方、屋標(やひょう)附紙(つけがみ)賭博(とぱく)を思いつき、糸問屋30店から屋標(店紋)の掲出料を強要したに相違ないな」
(糸問屋屋標 左・さかえや 右・朝鮮屋『江戸買物独案内』1824刊)
勝次(かつじ 30歳)は不敵ともいえる目つきで徳田与力を見返し、
「お役人さまへ申しあげます。ただいま、掲出料を強要と申されましたが、強要などをしたおぽえはございません。
『江戸でいま評判の糸屋---』の仲間入りができるということで、先方からすすんで掲出を申しこんでまいりました。お武家さまはご存じないでしょうが、われら下(しも)つかたでは、これを商取引と申しております」
いささか、腹をたてた徳田与力が、声をやや荒立て気味に、
「これ、勝次。掲出料をあつめたことを咎めてはおらぬ。余計な講釈をするな。以後は、問いかけたことのみに返答いたせ」
「それは、お役人さまの強弁と申すものでございましょう。先刻、あなたさまは、『掲出料を強要したに相違ないな』とお問いかけになりましたから、そうはしていないとお返事しただけでございます」
「その言い分が、余計だと言っておるのだ。さらに言い立てるのであれば、拷問部屋で再吟味いたすぞ」
「へい、恐れいりましてございます」
勝次は一向に恐れ入ったふうではない。場馴れしているのである。
座敷の中央から白洲を見下ろしていた火盗改メ・組頭の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 56歳 1450石余が、おもむろに訊いた。
「勝次とやら。30もの屋標の版木を彫らせるのはたいへんであったろう。彫師(ほりし)はどこのなんと申す職人かの?」
「は---?」
「いや。附紙の版木を彫った彫師の名をきいておる」
「お頭(かしら)さまにお伺いたします。彫師も罪になるのでございますか?」
「なに、そうは申しておらぬ。あれだけの屋標を寸分間違いなく彫るのは、さぞかし、苦労であったろうとおもい、名を訊いてみただけじゃ」
「浅草田町2丁目の裏店(うらだな)の宇吉(うきち)でございます」
「彫り賃は、いくら払ったかの?」
「3分(1両=10万円換算の4分の3=約7万5000円)でした」
「何日かかったかの?」
「なぜに、そのような---」
「さきほど、そのほうが、武家は下つかたに通じておらぬと申したゆえ、下つかたのくさぐさを学んでおるのじゃ」
「さすがは、お頭さまでございます」
「それで、ものはついでじゃが、その彫師・宇吉は、附紙を何枚もとめたかの?」
「買うはずはありません」
「ほう、なぜじゃ?」
「本あたりなどを引きあてることなど、水に映った月をすくうよりもむつかしいことを知っておりますゆえ、です」
「本あたりがでない---ことをか?」
「あッ!」
「徳田与力。この者の罪状に、詐欺(かたり)が加わわらないか、再吟味いたせ」
居間へ戻って裃(かみしも)を脱いでいる太郎兵衛正直へ、銕三郎(てつさぶろう 20歳)が感に堪えた面もちで言った。
「大伯父上さま。誘い水の技(わざ)、学ばせていただきました。かたじけのうございました」
「彫師で引っかからなかったら、刷師、売り弘め人と、罠(わな)を仕かけてみるのつもりであったのじゃが---」
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