明和2年(1765)の銕三郎(その3)
「太郎兵衛大伯父上さま。わざわざのお誘い、ありがとうございました」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)は、奥の書院で、判決申しわたしのために裃(かみしも)をつけている、伯父・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 53歳 先手・弓の7番手組頭 火盗改メ・本役)へ挨拶した。
「おう。銕、来たか。きょうは、しっかりと見届けるように、な」
「はい。しかし、大伯父さま。火盗改メというから、盗賊と火付けの監察が任務と思っておりました。きょうの裁きは、屋標(やひょう)附紙(つけがみ)賭博(とばく)とか---」
「そうだが、それがなにか?」
「博徒の監察も、火盗改メの役目ですか?」
「むしろ、泥棒を捕まえるより、賭博者、それに場所を貸した者を裁くほうが多いな」
「賭博は、町方(町奉行所)の所轄(しょかつ)と思っておりました」
「いや、早い時期---そうだな、天和(てんな 1681~83)・貞享(1684~87)のころから賭博の取り締まりは火盗改メの仕事となった。お上では、賭博は泥棒の始まり---と観じているようでな」
歴代の火盗改メの長官(かしら)にも、賭博の取り締まりには疑問をもっていた人もいて、夜の巡行のとき、ある家の2階でお金が動いている音がしているのを聞きつけて、その家へ入り、「銭勘定も大切だが、その音で近隣が迷惑する。銭勘定は昼間になるように---」と注意しただけですました仁もいたらしい。
「しかしな、銕。見よ、奴たちの悪賢さを---」
そう言って、太郎兵衛正直は、一枚の紙---屋標附紙を銕三郎に示した。
それには、「江戸でいま評判の糸屋選び」と題して、屋標(商標)と町名、それに屋号が30ほど刷られていた。
(糸屋屋標附紙に載っている屋標(マーク)の一部)
「役者紋附賭博は、役者の紋に棒線をつけるだけだ。ところが、この屋標附紙は、お披露目(ひろめ 広告)を兼ねておる。『江戸でいま評判の糸屋』に入るために、それぞれの糸屋は、いくらのお披露目料を出しているとおもうかね?」
「1店舗、2朱(8分の1両=約10万円として、1万2500円)あたりですか?」
「なかなか---」
「1分(ぶ =2万5000円)?」
「いやいや---その4倍」
「えっ! 1両も---」
「30の屋標がならんでいる」
「さ---30両ッ(=300万円)!」
「これ。はしたない声をだすでない。だから、この一味は悪賢いといっているのじゃ」
江戸も中期、安永(17672~80)ともなると、商業が一段と栄えていた。本町(ほんちょう)や大伝馬町、京橋あたりの表店(おもてだな)ともなれば、体面のためにも、1両のお披露目料を惜しんではいられない。
賭け屋は、そこに目をつけた。
「糸屋のこれを見逃すと、つぎは太物屋(ふとものや 木綿地の着物店)、売薬屋、菓子屋---とやられる」
「それで、屋標附紙賭博の賞金はいかほどなのでございますか?」
「本あたり10両(約100万円)。花あたりといって一つでもひっかかっていたら附紙代の購入代金の10文を返す」
「籤(くじ)の附紙は何枚刷っているのですか?」
「糸屋の場合は、1000枚だと」
「1枚10文で、売り上げ1万文=2両2分。なのに、本あたり10両とは豪儀だ」
「ほかの籤とは比べものにならない本あたりの賞金だから、人気もいちだんと湧いたのだよ。お披露目料あつめの意味が分かったか、銕?」
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