平蔵、親ばか(4)
「桑山どのは、谷口どのをご存じでしょうか?」
西丸・伏見櫓のところで、徒(かち)の5の組の頭(かしら)・内匠(たくみ)政要(まさのり 61歳 1000石)に、平蔵(へいぞう 40歳)が問いかけた。
「組の者たちの勤めぶりを見廻ってくる」
先刻、詰めの間から立った政要に、
「われも---」
平蔵が連れ立った。
徒士たちは、西丸の主(ぬし)である養君・家斉(いえなり 13歳)の外出がないときは、城内の巡回警備にあたっていた。
「谷口どのとは、いまは自適しておる、内蔵助正熙(まさひろ 59歳 500石)がことかな?」
「さようです」
「かの仁は、一橋の祖・:刑部卿(宗尹 むねただ 享年44歳=明和元年 1764)のご生母・深心院殿さまの実家筋ということなっておるが、正熙どのは牧野越前守成熙(しげてる 3000石)どのの七男で、母者は公家の綾小路の媛(ひめ)じゃから、谷口の血筋はじかにはひいておらぬ。したがって、紀州衆の集まりに出席しても、誰ともほとんど言葉を交わすことはない」
「ははぁ---」
「いや。わしは、いくたびか口をきいてはおるが、正熙どのに何用かの?」
「谷口どのにではなく、ご次男で、牧野一族、南町ご奉行の大隈守成賢(しげかた 2200石)どのの養子となられた、監物成知(しげのり 32歳)どのにお引きあわせくださる伝手(つで)を探しております」
「そんなことなら、わけもない。かの仁が、5年前に本丸の徒組の頭に就いたときに、西丸へもあいさつに参じられて以来の顔見知りじゃ。しかし、何用で---?」
「お笑いくださるな、じつは愚息に騎射のご指導をと---」
「ふむ---」
桑山)政要は、内心ではあきれていたろうが顔にはださず、
「わしが、ご両所を〔季四〕へ招いたという形をとってよろしいかな?」
「お手数をわずらわせます」
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コメント
ほんと、いまどきの娘の就活の助っ人をしようと、友人を酒場に誘ってそれとなく頼みこむ父親に似ています。
投稿: mine | 2011.09.17 05:48
>mine さん
いつの時代でも、親バカはあったんですよね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.21 11:49