平蔵、親ばか(2)
「元飯田町中坂下のいつもの〔美濃屋〕でもいいが、きょうは佐左(さざ)に声をかけていないのでな---」
「うむ---?」
「〔美濃屋〕から3軒あがったところに、志そめし屋が上方からきている。そこで手軽にすませたい」
和田倉門で落ちあった浅野大学長貞(ながさだ 39歳 500石)に平蔵(へいぞう 40歳)が意を告げた。
({志そめし〕 『江戸買物独案内』)
佐左とは、初見以来りの盟友である長野佐左衛門孝祖(たかのり 40歳 600俵)で、西丸の書院番3の組にいる。
一橋北詰の茶寮〔貴志]があった跡を過ぎる時、里貴(りき 逝年40歳)を失った平蔵の心中を察したか、大学はなにも口にしなかった。
【参照】2010年5月17日~[浅野大学長貞(ながさだ)の憂鬱] (1) (2) (3)
志そめしの[宇治橋]は中坂をちょっとあがった、田安稲荷社の境内にいかにも上方ふうな瀟洒(しょうしゃ)な構えの店であった。
〔美濃屋〕の主人・源右衛門の口ききと伝えると、奥の小座敷へ通された。
水差しに活けたねこやなぎの風情もしゃれていた。
酒は伏見の銘酒〔天ヶ瀬〕を冷やで頼んだ。
肴が京風の千枚漬の細切りというのもしゃれていた。
とりあえず、平蔵の徒頭栄進の祝杯をかわした。
「久次郎坊は幾つに育った?」
「明けて10歳だが、早く主題にはいれ---」
大学がせかした。
「本城の徒の5の組のお頭の牧野監物茂知(しげとも 32歳)うじは、大学の組ではなかったか?」
「そうだったが---?」
平蔵、 大学、佐左衛門の初見は、17年前の明和5年(1768)12月5日であった。
2年のちにまず佐左が西丸の書院番士として出仕した。
平蔵は、佐左に6年おくれ、やはり西丸の書院番士として召された。
大学は、平蔵たちを心配させたが、それでも平蔵の1年あと---安永4年2月24日から本丸の書院番士として勤務した。
番頭は中奥小姓番頭から転じてきた
「家柄がいいこと、ご当人の管理の才がすくれておることはわかる。そのほかには---?」
「狙いはなんだ---?」
「豚児・辰蔵(たつぞう 16歳)の兄者をお願いしようとおもっておる」
「むすめごを側室にさしだすのかッ?」
「とんでもない。師範としての兄者だ。われの佐野豊前守どののごとき立場だ」
しばらく平蔵を瞶(みつめ)ていた大学が、ひざをうち、
「辰蔵くんは射術にはげんでいたな」
平蔵が苦笑ながらにうなずくと、
「わしの弓術の腕もかなりなものだが、騎射は監物にはかなわない」
「かたじけない」
「平蔵も、けっこう、親ばかよのう」
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コメント
銀色にうぶ毛を光らせた猫やなぎを水差しに活けた上方ふうのしそ飯屋の小部屋で、平蔵さん、親友の浅野の大さんに辰蔵の兄者役の相談をもちかける。江戸はまもなく春ですねえ。
いい雰囲気。平蔵家はご安泰。
投稿: tomo | 2011.09.15 05:31
>tomo さん
自然の描写は、ほんの一行ですますようにしています。
もっとも、このブログは長谷川平蔵の年代記でもあり、ヰタ・セクスアリスでもありますから、季節感は最低必要要素と考えております。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.22 05:54
>tomo さん
自然の描写は、ほんの一行ですますようにしています。
もっとも、このブログは長谷川平蔵の年代記でもあり、ヰタ・セクスアリスでもありますから、季節感は最低必要要素と考えております。
投稿: ちゅうすけ | 2011.09.22 05:56