平蔵、親ばか
舞う蝶に似て、気まぐれのように話題を飛躍させる奈々(なな 18歳)についていく平蔵(へいぞう 40歳)は、想念と想念がぶつかりあい、飛んだ火花が点火させたのか、思いもつかなかった創意をえた。
辰蔵(たつぞう 15歳)への仮りそめの兄者が、それであった。
13歳で女躰(にょたい)の甘い蜜(みつ)を味わい、ややを産ませた辰蔵には手おくれかもしれないが、これまでわけしりの父親としてふるまってきたつもりがあり、亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)の、入念な手くばりを、つい、忘れていた。
【参照】2007年6月4日[佐野与八郎政信]
2007年6月5日~[佐野与八郎政親] (1) (2 )
2007年6月5日[佐野大学為成]
2008年11月7日~[西丸目付・佐野与八郎政親] (1) (2) (3)
2009年1月1日~[明和6年(1769)の銕三郎] (1) (2)
2009年9月11日[佐野与八郎政親]
010年9月8日~[佐野与八郎の内室] (1) (2) (3) (4) (5)
与八郎政親は、実の兄もおよばないほど親身に銕三郎の相談にのり、しかも一定の距離をとって冷静な助言をしてくれた。
仮りそめの兄者であった佐野政親をおもいだしたのは、本丸の徒頭・石谷(いしがや)市右衛門清茂(きよしげ 48歳 700石)の、
「本城の徒組頭15人中の最長老は59歳、最若年は32歳、平均は48歳。30代は3人、40代3人、50代が9人---」
この台詞であった。
それも、奈々のおどけた、
「ただいまのところ、この部屋には10代が1人、40代が1人、全部の平均年齢は29歳---」
口真似によった。
(最若年では32歳---たしか、5の組頭の牧野監物成知(しげひで)が家督前の役高勤めで、5年前から齢上がほとんどの徒士たちを心服させている器量と聴いておる)
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