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2011.09.13

老中・田沼主殿頭意次の憂慮(4)

「ただいまのところ、この部屋には10代が1人、40代が1人、全部の平均年齢は29歳、若いです」
桜色の腰丈の閨衣(ねやい)の右膝を立てた奈々(なな 18歳)が、石谷(いしがや)市右衛門清茂(きよしげ 48歳 700石)の声色を真似た。

「客を神さまとおもえば、そのようなもの真似は慎んだほうがいい」
笑いながらたしなめ、片口から酌した。

田沼意次 おきつぐ 67歳)さまって、そんなにこわいお人なん? 於佳慈(かじ 34歳)さまはおやさしい」
手みやげをとどける奈々への応対はそうであろう。

「もしかすると、こわいのは、田沼侯ではなく、於佳慈どののほうかもしれない。田沼侯は理と情(じょう)をきちんとわけてお使いになる。於佳慈どのは、まま、情が先ばしる」
平蔵(へいぞう 40歳)は、3年前の正月の夜のことをおもいだしたが、里貴(lりき 38歳=当時)がらみの事件であったから、奈々には話さなない。

参照】2011年4月13日~[中屋敷の於佳慈] () () (

「利ィやったら、誰かて、こだわります」
「------?」
「儲けですやろ?」
「その利ではない。道理の理だ」
「理屈の理ィ---うちの、にが手や」
突然、奈々が話題を変えた。

くせである。
おもいついたら、忘れないうちに口にしてしまうのだと、けろりという。

「今日、おいでになった神保さま---お偉いお家の方みたい---」
「ほう。お客としてみえたことがあったか」
「ううん」
「では、偉いとか偉くないとか、何をもって判断したのだ」

奈々は、小川町に表神保(おもてじんぼう)小路という通りがある。都には姉小路(あねがこうじ)とか万里小路(までがこうじ)とかいうお公家の屋敷がある。
小路に家の名前がつくほどならえらいにきまっているはずだといいはった。

「たしかに神保小路は、今宵きた神保家から数代前に分家した神保なにがしのひろい屋敷があの道に面してあったのでそう呼ぶようになったと聴くておるが、だからといって、別に偉いわけではないと説明したが、奈々は納得しなかった。

本郷の壱岐殿坂(いきとのさか)は唐津の殿さまから、小石川の安藤坂は安藤飛騨守さまの名からとっているといいはった。

「そういわれてみると、〔季四〕にも招いたことがある建部(たけべ)甚右衛門広殷(ひろかず 55歳=当時)どののご一族の本郷のお屋敷の前は建部坂と呼ばれているの」

参照】2011年6月14日~[建部甚右衛門と里貴] () () (

(そうだ、思い出した、建部坂には、12年前に遺跡を相続して小普請入りした時、9の組支配の長田(おさだ)越中守元鋪(もとのぶ 74歳 980石)のお屋敷に伺った。建部家のはす向いが長田家であった)

参照】20091212~[小普請支配・長田越中守元鋪(もとのぶ)] () () (

あの翌年、平蔵は西丸の書院番士として出仕し、長田支配に礼の言上に訪れたのが最後の面談となり、翌々年に不帰の人となった。

建部坂上からちょっとのところに屋敷のある盟友・長野佐左衛門孝祖(たかのり 40歳 600俵)とも呑んでいない。

(浅野大学長貞(ながさだ 39歳 500石)を誘って不景気ばらいをするか。それにしても、
奈々の脈絡のない思いつきにつられで、あれこれおもいだす)


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