中屋敷の於佳慈(3)
「於佳慈(かじ 31歳)さま。そのような風聞は、どのような筋からお耳に入るのですか」
平蔵(へいぞう 37歳)の問いを、於佳慈は笑いと冗談ではぐらかした。
「おほ、ほほ。もっぱら、地獄耳の於佳慈といわれております」
「こちらの問いは、いかがでしょう? お生まれは深川と聞いておりますが---?」
「長谷川さまは、いつから仲人をおはじめになりましたの?」
婉曲に逃げた。
「いつだったか、深川は築地(埋立地)ゆえ、水がよくない---とおっしゃったそうですね?」
「里貴(りき 38歳)さまは、そんなことまで寝物語りでお告げになるのですか?」
里貴がすがるように、
「銕(てつ)さまは、堀 帯刀さまの私ごとまで相良侯(田沼主殿頭意次 おきつぐ 64歳)のお耳に達していることを驚くというか、私とのあいだがらもお上へ報じられているのではないかと怖れておいでなのです」
於佳慈も真面目な表情になり、お上が、幕臣とおんなとのことで憂慮するのは、3点であると前置きし、
1は、家政がみだれたり、刃傷沙汰をおこして世間の耳目を集めたりしないか。
2は、おんなの縁者の猟官に走らないか。
3は、おんなに金を注ぎこんで不正を働くようにならないか。
「長谷川さまと里貴さまは、茶寮〔季四〕が大赤字にでもならないかぎり、3の心配はないでしょう。わが殿も〔季四〕の帳尻には気をくばっておられます」
「ありがたいことでございます」
「2の猟官のことも、いまの里貴さまには、そういう縁者は見あたらない---」
「はい---」
「1は---」
「大丈夫です」
於佳慈が言葉をつないだ。
「口外しないと指きりしてくださると、打ちあけますが---」
「誓紙を差しだしてもよろしいが、とりあえずは、里貴が指きりを---」
「いえ。長谷川さまといたしましょう」
里貴が眉根を寄せたが、かまわず、於佳慈が小指を平蔵に突きつけた。
心持ち指きりが長いと感じたのは、里貴だけではなかった。
(放してくれないな)
平蔵も、胸内でおもった。
指が離れると、
「わが殿は、お庭番とは別に、宿老としていただいている機密のお金で数人の隠密をかかえておられます。その隠密たちの取次ぎを私がやっているのです」
「すると、堀 帯刀どののご内室の件は---?」
於佳慈の双眸(ひとみ)が、これまで見せたことのない冷たさで光った。
「20年のあいだに3人もの奥方ということなので、探索させました」
【ちゅうすけ註】堀 帯刀秀隆は、その後、57歳で歿する寛政5年(1793)までの11年のあいだに、もう2人の内室を娶っている。総計5人。
「お佳慈さま。お生まれは深川のどちらでございましたか?」
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コメント
於佳慈というおんなの正体がおぼろげなが観えてきました。
登場させられるからには、なにかの役目があるだろうとは予想していましたが、こういう女性をそばにおいておく田沼という政治家の底の知れない智謀の深さを感じました。戦国時代であれは、それこそ、天下を狙うぐらいの人なんでしょうね。石田三成といったところでしょうか。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.04.15 05:25
>文くばりの丈太 さん
石田三成という能吏を調べたことがないのですが、彼の出頭は、秀吉のような天下人の補佐役としてのようにおもうのですが。
田沼は、もうすこし、治世為民だったのではないでしょうか。それと商業資本の活用。
長谷川平蔵にもいえるのですが、さらに、情報の収集と利用の術。
そうでした、於佳慈の前に、里貴も情報の収集をしていたし、お竜も盗人の情報おんな将校だったし、千浪も〔狐火〕のうさぎでした。
情報という観点からの『鬼平犯科帳』といえないこともないですね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.04.15 13:29