建部甚右衛門と里貴
「そこもとが一橋の北詰で茶寮〔貴志〕をあずかっておられたころな---」
「一と昔も前のことでございます」
茶寮〔貴志〕の話題をだしたのは、火盗改メ・〔増役(ましやく)を解かれ、通常の職席である先手・鉄砲(つつ)の12番手の組頭・建部(たけべ)甚右衛門広殷(ひろかず 55歳 1000石)であった。
相手をしているのは、茶寮〔季四〕の女将・里貴(りき)---38歳の大年増とはとても思えないほど若々しいのは、透きとおるほど白い肌とととのった面立ちのせいである。
もっとも、微笑むと目尻に3本ほどの浅い線がよるのは仕方がない。
里貴は、実年齢よりも4,5歳若く見られることを、寝間で平蔵(へいぞう 37歳)のむきだしの胸に頬をつけ、
「銕(てつ)さまがこうしてほどよい間合(まあ)いで重愛(ちょうあい)してくださっているからです」
月に5夜か6夜の合褥(ごうじょく)では不満であろうに、それを洩らさなかった。
いまのことばでいうと、独り身でも、適度のセックスで女性ホルモンの分泌がいいということであろう。
平蔵とは、里貴が茶寮〔貴志〕の女将となってから、1年をおかずしてできた。
引き合わせたのは、夏目藤四郎信栄(のぶひさ 22歳=当時 300俵)であったが、もちろそのことは知らない。
【参照】2009年12月23日~[夏目藤四郎信栄(のぶひさ)] (3) (4)
2009年12月25日~[茶寮〔貴志〕のお里貴(りき)] (1) (3)
2010年1月18日~[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] (1) (2)
いや、男とおんなのなれそめなど、偶然の出会いとちょっとしたきっかけがあればできてしまうものだから、それをぐだぐだ語ってみてもはじまらない。
ただ、平蔵と里貴とは、躰のぐあいが微妙に合ったために長つづきしたといっておこう。
それと、里貴が最初から妻の座をもとめなかったことも、2人のあいだに紛糾が起きなかった。
しかも、次から次へと予想外の事件がおき、好奇心が寝間へまで入りこんだ。
建部組頭が想いだしたよう言葉をつないだ。
そのころ、甚右衛門広殷<は、本丸の小姓組番士から使番に選ばれて6,7年も経ていたろうか、諸事に馴れつくしたとうぬぼれ、〔貴志〕の美人女将のうわさを聞きこみ、親しくしていた安西彦五郎元維(もとふさ 53歳=当時 1000石)を誘って訪れようとしたところ、元維の病いがはじまりかけてい、実現しなかった---と打ちあけて笑い、
「10年来の念願がかない満足至極」
お世辞たっぷりであった。
客のお世辞にはめったに動じない里貴が、平蔵かかわりということで、目元をうっすらと赤らめ、
「そのころはもうすこし若うござしました」
「お互いにな。はっ、ははは」
建部甚右衛門広殷の笑い声の奥にひそんでいる安西彦媚老元維への友情の深さを見ているだけに、平蔵は追従笑いができず、ごまかすために手酌した。
【参照】2011年4月18日~[火盗改メ増役・建部甚右衛門広殷] (1) (2)
「私としたことが、建部さまのおなつかしいお話に聞きほれ、失礼いたしました」
里貴は、さりげなく建部へ先に酌をし、つづいて平蔵にすすめた。
里貴があたらしい酒を取りに立つと、建部老は、なにげないふりで、
「長谷川うじ。嶋田宿の陣屋からきた十手あずかりの観察に、まったく興味を示さなかったのには、なにか存念でも---?」
さすがであった、見るべきところはきちんと見ていた。
それを、里貴にことよせてこの場をしつらえさせて切りだすとは---。
【参照】2011年6月3日[建部甚右衛門広殷、免任] (3)
「その---それがしの幼なじみの女がからんでいるやにおもえまして---、それをたしかめたくて---」
正直に口にできた。
「偶然に---?」
「さようです」
「気がかりであろう。そのこと、贄(にえ) 越前(守正寿 まさとし 41歳 火盗改メ・本役)どのにも伏せておく」
「お心遣い、かたじけのう---」
「秘密は一人でかかえているより、2人でわけあったほうが興がのる」
わざわざ足袋のすり音をたてた里貴が新しい酒をもってあらわれた。
どう振るまえば、平蔵のためになるかと、思いつめたような表情をしているのが、いじらしかった。
襖の向こうで盗み聞きをしたにちがいなかった。
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