[火つけ船頭(巻16)]注解(2)
JR静岡駅ビル・パルシェ7Fでの〔鬼平クラス〕のリポートのつづき。
先だって5日のテキストが文庫巻16[火つけ船頭]であったことは、昨日の当コンテンツに記した。
じつは、この篇は、ぼくにとって、慙愧に耐えない篇である。
そう、25年ほど前のこと。
池波さん、落合恵子さんなどと、「読売新聞映画広告賞」の審査員を10数年つづけていた。
映画広告が掲載された30ページ近くが毎月送られてき、その中から候補作品を選んで返送、年に一度、全審査員---といっても5名が集まり、最終選考をした。
池波さんとも親しく口をきくようになっていたから、6,7回めあたりだったとおもうが、審査前の雑談のとき、
「火盗改メの鬼平は、火つけ犯も逮捕するのでしょうが、火事の場面は[火つけ船頭]くらいですね」
心易だてに、うっかり、いってしまった。
池波さんは、立腹もしないで、
「ぼくは、火事がきらいでね。火事の描写って、むずかしいんだよ」
それきり、黙ってしまわれた。
それから1年もたたないうちに、まるであてつけるかのように書かれたのが、文庫巻22[炎の色]であった。
もし、亡くなられないで未完[誘拐]が書き継がれていたら、〔荒神(こうじん)〕のお夏(なつ 26前後)は江戸のどこかに放火をさせていたであろうし、火事さわぎの描写も真にせまった筆づかいでなされたろう。
それで、〔鬼平クラス〕の[火つけ船頭]の講義日、小林清親画伯の『東京名所図』(学研)から火事の絵を3点、カラーコピーして披露した。
というのは、子どものときから絵を描くことが好きであった池波少年に、母方の祖父が、
「小林清親に弟子入りを頼んでやるから---」
約束し、池波少年もすっかりその気になっていたと、エッセイにあるからであった。
もし、[誘拐]が書きつがれていたら、火事の描写の参考にされたにちがいない。
(小林清親画『東京名所図』 [浜町より写両国大火])
(同上 [両国大火浅草橋])
(同上 久松町で見る火事)
そう確信しているのは、細部の描写もおろそかにしない池波さんの気質をしっているからである。
[火つけ船頭]に添い、その気質を証明した。
火つけ船頭・常吉が南伝馬町1丁目南鞘町の畳表問屋〔近江屋〕の裏側の塀に放火した。
なにぶんにも、外塀が燃えだしたのだから発見も早く、また、消火もしやすかった。
町火消しりニ番組の内、〔せ組〕の鳶(とび)の者が駆けつけて来るし、〔ろ組〕も〔も組}も出動するというわけで、さいわい近江屋の火事は内部を侵(おか)すこともなく、身辺に燃えひろがることもなく、消しとめねことができた。
(p168 新装版p174)
鬼平のころの町火消町内組合Fは、2番組---、
せ組 炭町、南槙町、南大工町、大鋸町、
五郎兵衛町、281人
ろ組 元大工町、左内町、下槙町、上槙町、254人
も組 南紺屋町、銀座町、三十間堀、丸屋町、数寄屋町、
西紺屋町、103人
ほんの1行分でしかない瑣末の調べも、おろそかにしていない。
(右図::町火消しニ番組の纏 上から、ろ組、せ組、も組)
( 町火消しの出張り 『風俗画報』明治31年12月25日号)
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