夏目藤四郎信栄(のぶひさ)(4)
「夏目うじ。日光山と申せば、菅沼摂津(守虎常 とらつね 59歳)さまが秋から春までの日光お奉行(2000石格)として任命なされて何年になりますか?」
「菸都(おと 20歳)が嫁(か)してきた1年前---そう、 明和7年(1770)の師走でしたから、まる3年になりますか」
平蔵(へいぞう 28歳)は、菅沼攝津のさらりとした人ざわりを好ましくおもてっいた。
(あの方のむすめごであれば、気性もさわやかであろう)
銕三郎(てつさぶろう)のころの摂津守は、先手・弓の4番手の組頭で、火盗改メを拝命していた。
それで、筆頭与力・村越増五郎(ますごろう 48歳=明和6年)にたのまれて〔墓火(はかび)〕の秀五郎(ひでごろう 先代)の探索にかかわったことがあった。
(あのころは、暇をもてあましておったからなあ)
「そういえばも菅沼攝津さまには、定昌(さだまさ 32歳)とかおっしゃった中奥の番士のご嫡子がおられたはずだが---菩提寺がいっしょで、そこでお目にかかったが、今夕の祝賀の宴でお会いになったら、よしなにお伝えおきを---」
「それが---」
声の大きい夏目藤四郎信栄(のぶひろ 22歳 300俵)がいいしぶった。
「どうかなされたかな?」
「体調不良で、そのような席はご遠慮なさっておられるのですよ」
「具合がよろしくない?」
「勤仕をお休みになるほどではないのですが、ご疲労がはげしいとか---」
「それはご心配なこと---」
「母方の体質を引き継いでおられるようなのですよ」
「母方の? 夏目うじの奥方は大丈夫なのか?」
「母ごが違うのです。次郎九郎(定昌)さんの母ごは、戸田家からの方で、20年ほど前に亡じられたと聞いております。手前の室のは継室で、春日家からの方なのです」
女将・里貴(りき 30がらみ)が、あたらしい銚子とともに戻ってきた。
「もう、いただけない。今夕、祝宴があるのです。主人側なので、赤い顔をしてはでられない」
「では、私に注いでくださいませ」
「ところで、この屋の名の〔貴志〕のいわれを教えていただけますか」
酌をしながら、さりげなく訊いた。
「いわれなど、ございません。私が生まれた里の名です」
「どちらの?」
「紀州(紀伊国那賀郡(ながこおり)貴志村(現・和歌山県紀ノ川市貴志川町神戸)です」
「ほう」
「どうかしましたか?」
「いや。紀州生まれの女性(にょしょう)の肌は、京洛の女性のように、そのように透けているのかとおもいまして」
「また、お上手をおっしゃいます---うふ、ふふふ」
声は笑っているが眸(め)は澄んだままであった。
(そういえば東三河の野田・菅沼家は、頼宣侯付になり、紀州へ移り、有徳院殿さまについて二の丸入りされたと承知しているが---この里貴という女性(にょしょう)が、わざわざ、一橋の向いに茶屋をだしたのとかかわりがあるのであろうか?)
★ ★ ★
週刊『池波正太郎の世界』3号が届いた。
ちょっぴり、お手伝いしたのは、この号に反映しています。
というのは、池波さんの3大・江戸もの連作『鬼平犯科帳』『:剣客商売』『仕掛人・藤沢梅安』を身近なものと読むには『江戸名所図会』の長谷川雪旦の絵を塗り絵してみるといい---と気がつき、見開きごとに2枠になっている絵をつないで合成、それを各文化センターの受講者有志に塗ってもらった。
編集部で、その絵を使いたいということだったので、クラスの有志の塗り絵をCD化して編集部に、「この中からご指定を---」と渡したのです。
2点が、この号に載っています。6ページの雉子の宮(佐藤清隆さん)の作品と、25ページの汐見坂(石橋裕子さん)のものです。
池波さんは、「1日に1度は『江戸名所図会』をひらく」とエッセイに書いています。池波ファンなら、真似してやってみては?
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コメント
今日発売になった「池波正太郎の世界」3号に仲間の塗り絵(潮見坂)が掲載され皆で喜んでおります。
私もちゅうすけ先生のご指導で「江戸名所図会」に彩色する事を覚え、今でも鬼平犯科帳や時代小説を読む度に名所図会を紐解き彩色して当時を思い浮かべ楽しんでいます。
投稿: みやこのお豊 | 2009.12.24 23:01
春ごろ、編集部から話があって、クラスのメンバーの塗り絵をCDに移して、この中から選んでください---と渡したのです。熱愛からは石橋さんの絵が指定されました。
来年は池波さん歿20年---いろんな出版社が記念号をかんがえているようです。塗り絵が収録されるといいですね。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.27 06:31
西尾先生
12月22日、朝日新聞出版の駒井様から、「池波正太郎の世界」3号を、元絵、お礼状と共に送っていただきました。
元絵より綺麗に、コンパクトな分鮮明に印刷され感激しております。
数少ない私の塗り絵が掲載されましたのも、西尾先生の画題選定、ご指導のお蔭ですし、また大変ご面倒をおかけし、ご尽力いただきました。
心より深く感謝申し上げます。有難うございました。
石橋裕子(大川端こなみ)
投稿: 大川端こなみ | 2009.12.28 13:56
「池波正太郎の世界」3号に石橋さんの「塩見坂」の塗り絵が掲載され全員にメールを送信したところ、皆さんがとても喜んでました。
これも一重にちゅうすけ先生のご指導のお陰と感謝しております。
毎号の出版でどのような「江戸名所図会」の塗り絵が楽しみにしてます。
投稿: 豊麻呂 | 2009.12.28 17:04
>大川端のこなみさん
おめでとう、よかったですね。
ページの中でも、色あざやかにかがやいて、目立ちます。
そうそう、コメント書き込みですが、これからは。1回の送信でいいのです。ぼくが毎日チェックして、開錠しなければここへオープンしない仕組みにしてあるのです。迷惑コメント防止のためです。
それを周知していなくてごめんなさい。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.29 02:55
>豊麻呂 さん
コメント、ありがとうございます。
豊麻呂 さんが鬼平熱愛倶楽部の塗り絵推進役をかって出てくださり、数多くの展示ができて塗り絵のPRが編集部に浸透しつつある結果としての、今回の快挙です。
これからも、推進をすすめてください、きっと、いい実りが生まれるとおもっています。すごい財産になっているんですから。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.29 03:02
西尾先生、お久しぶりです。このコーナーにも久しぶりの投稿です。
鬼平熱愛倶楽部改め大江戸熱愛倶楽部の活動成果が雑誌などに取り上げられるのはうれしいものです。
「大川端のこなみ」さんおめでとう!
大島の章
投稿: 高川 章 | 2009.12.29 11:54
>大島の章 さん
お久しぶりです。
ああいう吉事でもないと、せっかく10年もつづいていたクラブの人たちのコメントが書かれないというのは、寂しい気もします。
このブログもニフティの中では上のランクに紹介されてきています。もっと、みんなが利用していけば、塗り絵にも、編集部が気がつくことが多くなるとおもうのですが---。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.31 03:11