平蔵、初仕事(10)
もともと、物語を書くつもりで始めたブログではない。
といって、史実を羅列したいわけでもない。
史料探索メモであったり、史書の紹介であったり、池波鬼平の江戸やそのほかの土地の案内であったり、長谷川平蔵がかかわったはずのキャラクターたちとの交遊録であったり、とにかく、めちゃくちゃではあるが平蔵という逸材の素描と当時の風俗・習慣をこころがけてきたつもりでである。
わき見や寄り道をしながらこの8年間で、小説 『鬼平犯科帳』の第1話[唖の十蔵]につなげる直前まで年月をすすめてきた。
ここで風変わりな叙述をしても、ほう、そんな手もあったかと、笑って見逃していただけるのでは――と甘えることに決めた。
先手・弓の2番手組の組頭で火盗改メを命じられている平蔵は、組の与力・同心、それに密偵3名、家士の松造(よしぞう 36歳)を引き連れて中山道の第3の宿場――浦和宿で事件の探索をすすめている。
盗賊に襲われたのは、浦和宿の中山道に面した仲町の酒問屋〔大調(おおづき)屋〕卯右衛門方で、天明7年(1787)12月の下旬――旬日たらずで元旦が明けようというせわしない歳の暮れであった。
小説ふうに、〔大調屋〕を訪れ、昨日も訊いたが 今日は火盗改メのお頭がじきじきにお訊きになる――などと二度手間を弁じているわけにはいくまい。
窮すれば通ず――昨日の与力・小島与大夫組の吟味ぶりを平蔵が暗(あん)にたしなめた形の念押しの問いかけに、午後は〔大調屋〕が答えた記述にすれば、手間がはぶけよう。
というわけで、いまは平蔵たちは〔大調屋〕にい、高井同心は別室で番頭・手代を相手にしているとおもっていただきたい。
奥の間では平蔵と松造が卯右衛門に対していた。
問いの2:この1ヶ月のあいだに不審な客はなかったか? ふだん買っている銘柄を変えたとか、量が増えたとか、初めての客が何回も訪れたとか?
卯右衛門「手前はずっとは店にでてはいないので答えられない。番頭・手代がお答えする」
問いの3:当店の掛け売りの〆で当月末、翌月末、節季ごとの割合は?
卯「店売りと卸しでは異なるとおもうが、番頭がお答えする」
問いの4:出入り口は幾つあるのか?
卯「えー、表の大戸――と、裏道から庭へ入るのとの2つとおもう」
問いの5::ご当主夫妻の寝所に店の者が集められたということだが、全員か? 洩れた者はいないか?
卯「賊が全部集めたといっていたからそうだとおもった。恐ろしくてよくは覚えていない」
問いの6:当店では若い者たちによる戸締りと火の用心の家中夜廻りをなん刻(どき)に行っているか?
卯「江戸の大店(おおだな)と違い、浦和の店は小さいからそういうことをしている店はないはず」
問いの7:賊たちは揃いの盗み衣装(こしらえ)であったか? 各人それぞれであったか? それぞれであったのでれば、おぼえているその装束は?
卯「揃いであれば覚えているだろうが、覚えていないところをみると、各人それぞれであったようにおもう。これもほかの者に問うてほしい」
問いの8:ご当主は短刀でおどされたということだが、大刀を帯びていた賊はいなかったか?
卯「お金のことが気がかりで覚えていない。これもほかの者に問うてほしい」
問いの9:賊たちの脚許は?
卯「紺足袋におろしたての草鞋(わらじ)であった」
平:えらい! 恐怖の中、よくぞそこまでみとどけた。ところで、草鞋に特徴は?
卯「そこまでは――」
問いの10:賊たちが話した言葉や脅した言葉になまりはかなかったか?
卯「気がつかなかった」
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