町々へ触れを出したとき
長谷川平蔵が組頭に着任した先手弓の2番手は、34組の先手のうちで、火盗改メとして過去に豊富な実績をもつ最優秀の組だが、それでも問題はあった。
見廻り同心の中には、市中の自身番屋へ顔をだしたときに鼻紙や煙草、草履などを暗にねだる手合いがいたのだ。
町の自身番所(『近世風俗志-守貞漫稿-岩波文庫(一))
鼻紙や草履といった些少の日用消耗品というところがいかにもつましく、下級官吏らしい。
先手組同心の俸給は20俵2人扶持ていど。換算すると年30両どまり(池波さんは『鬼平犯科帳』末期には1両を20万円に換算)。
長谷川組同心:鈴木某はとりわけ遊び好きでとおっていた。
新宿の岡場所へしけこむ前に自身番屋へ寄っては娼妓への手みやげを用意させ、遊んでの帰りには家人への心づけまで受けとる不心得ぶりだった。
天明7年(1787)初冬から翌春へかけて、平蔵が冬場だけの火盗改メ:助役(すけやく)在任中も、鈴木同心は隠れてせびっていた。
渡すほうとすれば、なにせ相手はその名もこわい火盗改メ、断って仕返しされるのを恐れた。鈴木はそこへつけいった。
この年の夏、老中首座についた少壮:松平越中守定信の賄賂(わいろ)禁止令は、下部まではまだ徹底していなかった。
天明8年の秋、火盗改メの年中とおしての本役へ任じられた平蔵は、綱紀粛正の改革令を発する。
一切の付けとどけを禁じたのもその一つ。町々へも、飲食を強要したり金銭を無心する組の者がいたら長谷川屋敷へ注進するようにとの触れをまわした。
町方から喜ばれなければ、町方からの有益な情報は持ちこまれない、与力10人同心30人ぽっちで広い江戸市中を監察するには、町方がもたらしてくれる情報がなによりの宝……そうふんでいたのだ。
そうそう、例の鈴木某、平蔵の禁令で手も足もでなくなったとしきりに嘆いたことが史料にのこっている。
禁じるばかりでは部下の不満も高まる。ものの本はこう伝える。
「平蔵は気取り(工夫)、気功者(気くばりができる)で人の気をよくのみこみ、借金がふえていることはいっかな気にしないで、組の与力同心へは酒食をふるまっている」
火盗改メの役料――職務手当は50人扶持。これは1日玄米2斗……舂きべり2割とみて1斗6升。精米1升100文試算で月額10両前後。
役務を遂行するための諸経費や牢番の手当て、入牢者の食事費などもこれでまかなうから、決して多い額ではない。
平蔵が本役のときに冬場の助役についた佐野豊前守政親(1100石。59歳)は、半年間に借金を400両もつくっている。火盗改メを真面目に勤めると家産が傾くとまでいわれた。
部下たちにしっかり働いてもらうために、平蔵は悠然と身ゼニを切りつづけた。
長谷川家の家計が逼迫していることを知っている与力同心たちは、
(このお頭のためなら)
固く心にきめた。
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