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2008.07.19

明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)(3) 

っつぁん。おふさどのが嫁入りするぞ」

高杉道場へ現われた銕三郎(てつさぶろう 22歳)に、いきなり、怒鳴るように言ったのは、剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 22歳)だった。

ふさは、農家を改造した高杉道場の隣の屋敷の主・田坂直右衛門(70余歳)の、たった一人の孫むすめで、この年、19歳になったばかりである。
岸井左馬之助が、ひそかに恋ごころをいだいていた。

これまでも、垣根ごしにおふさの姿をかいま見ては、
お「ふさどのが髪をあらっている」
参照】2008年4月10日[岸井左馬之助とふさ]
だの、
お「ふさどのが、横川べりの木陰で涼んでいる」
参照】2008年5月5日[盗人酒屋〕の忠助] (その7)
などと、いちいち、報告におよんで、うるさかった。

左馬之助は、下総国(しもうさ)印旛郡(いんばこおり)臼井(うすい)で、手広く商売もやっている郷士のせがれで、5年前から単身出府、押上(おしあげ)の春慶寺に寄宿している。

参照春慶寺←クリック

だから、人恋しさも一倍なのであろう。
隣屋敷のおふさを、仮想恋人していた。
もちろん、おふさにしてみれば、左馬之助は、隣の貧乏道場の若者の一人にすぎなかったのだが---。

そのおふさが、嫁(とつ)ぐというので、左馬之助は、蒼白な顔色をしている。まるで、失恋したみたいだ。
「それで、どこへ嫁(とつ)ぐことになったのだ?」
「日本橋・本町の呉服商だ」
「なんという店なんだ?」
「〔近江屋〕なんとか兵衛」

_360
池波さんがモデルにした〔近江屋〕呉服店 『江戸買物独案内』)

「ま、田坂家としても、金のない剣術遣いより、豪商のほうを選ぶのは、とうぜんだからな」
「他人事みたいに言うな!」
「きょうは、徹底的に呑んで忘れるんだな。そうだ、亀戸のお(こん 28歳)さんが戻ってきたそうだ」
「よし、今夜は、〔盗人酒屋〕だ。っつぁんも、つきあえ」

いったん、三ッ目通り・菊川町の自宅で着替えてから、四ッ目の〔盗人酒屋〕へちょっと遅れてついてみると、左馬之助は、おと〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 32歳)を相手に、そうとう、過ごしていた。
大きめの体をおの肩にしなだれかかるようにして、
「やあ、頼もしきわが剣友・っっぁんのご入来だ。遅かったではないか」

おまさ(11歳)が寄ってきて、ささやくように、
(てつ)兄さん。岸井さん、どうなったんですか? ずいぶん前から、あの調子なんです。おふささんという人がどうしたの、こうしたのって、おおばさんも、もてあましているみたい」
「すまん。今夜だけは、見逃してやってほしい。左馬は苦しいんでいるんです」

飯台の左馬の正面に座った銕三郎が、おに、
「お久しぶりです。足利のほうでは、なにごともなく済みましたか?」
には、やつれがすこし顔にういている。もともと細面だったから、よけいに目立つ。
「おいおい、っつあん。おさんは、戻ってきなさったんだ。なにごともあるもんか」
彦十が、左馬之助をなだめにかかった。
「はい。お蔭さまで、とどこおりなく、納骨が済みまして---」
「今夜、みねちゃんは?」

おまさ が指で上を指し、
「食べるものを食べたら、くたびれて、上の部屋で寝んね」

左馬之助は、盃をあけては、じっとなにかを見すえている。
が、
「そろそろ、きりあげましょう」
すすめても、首をふるだけになった。

入江町の鐘が五ッ半(午後9時)を告げた。
看板の時間である。
銕三郎が支えて立たせても、左馬之助はおの肩のほうへ寄りかかってしまう。
弾力のある女の躰の触感とやさしい扱いに飢えてきていたのが、酒の勢いで一気にふきだしたみたいだった。
も察したとみえ、
「春慶寺までは、とても無理です。あたしのところで、酔いをさましていただきましょう」

おまさに、おみねをあずかってくれるように頼んで、左馬之助をかかえるようにして店を出、彦十が提灯でもつれている2人の足元を照らしてやりながら、横十間川に架かる旅所橋へ向かう。

月が細くなっている夜で、音もなく流れている横十間川は、黒い帯のようだ。

橋の手前までつきそった銕三郎彦十は、あとをおにまかせ、2人が清水町の裏長屋の木戸口に消える見送ると、引き返した。

Photo_2
(〔盗人酒屋〕から下(東)へ行くと旅所橋。わたって左折すると清水町のお紺の長屋)

長谷川さまの旦那。あの2人、大丈夫でやすかねえ」
彦十どのは、何を心配しているのですか?」
「おさんも、後家を立ててはいるものの---」
「大人の男と女のあいだのことは、なるようにしかなりません」
「でも、おさんには、怖い後ろ楯tが---」
「〔法楽寺(ほうらくじ)の直右衛門ですか?」
「ご存じでやしたか?」

参照】〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門

〔盗人酒屋〕の前でおまさが、看板行灯の灯をおとさないで待っていた。
(大丈夫)
とうなずいて、
「おやすみ」

おまさ が店へ入ったのを見さだめ、
「ご亭主どのの納骨へ、足利あたりへ行って、1年も足止めされたとなると---」
「ちげえねえ」
「それに、おみねちゃんの早寝のくせがついたのも---」

参照】女賊・おみね

「なるほど---あ、ちょいと、だち(とも)が来やしたんで---」
彦十が小名木川の土手で、しだれた小枝をゆらしている柳樹へ話しかけた。
「おい。しばらくだったね。なになに、左馬さんのことは、しんぺえねえ? 足利のほうが飽きてきたったんだろうって? うん、そういうことかもね。だったら、おさんも、まんざらじゃあ、ねえってことなんだ」

参照】〔相模(さがみ)〕の彦十

銕三郎は、彦十のような浅読みではすませなかった。
 〔法楽寺〕ほどの大物が、女の躰に飽きたから、などと理由でおを手放すわけがない。もっと、先を読んでのことに決まっている。左馬がその穴に落っこちたのでなければいいが---)


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