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2008.07.18

明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)(2) 

本所・四ッ目、北松代町1丁目にある〔盗人酒屋〕についたのは、七ッ(午後4時)前であった。
(とめ 33歳)・お(きぬ 12歳)母娘に、これほど時間をとられていたとは気づかなかった。
声がこもがちの天童なまりもすっかり消えているおのあく抜けた話しっぷりに、
(女の、ところ慣れはみごとだ)
おもわず聞きほれていたともいえる。

参照】2008年7月17日[明和4年(1767)の銕三郎] (1)

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(北本所 上部(西)に{〔紙屋〕 下部(東)に〔盗人酒場〕)

おまさ(11歳)は、羽目板や飯台を拭いていたが、銕三郎(てつさぶろう 22歳)の姿を認めると、それがくせの、黒くてぱっちりした双眸(りょうめ)を細めて、微笑(ほほえ)む。
そういうところは、とても11歳の女の子には見えない。一人前のむすめだ。

「手習いが上達しているごほうびです」
買ってきた手習い帖をわたすと、ぺろりと赤い舌をだして、
(てつ)お師匠(っしょ)さん。じつは、あまり、すすんでないんです。でも、うれしい。ありがとうございます」

おまさ。店の支度はいいから、お師匠さんに手筋帖を診ていただきな」
板場から手を拭きながら出てきた長躰の忠助(ちゅうすけ 40がらみ)がうながした。
この男は、〔(たずがね)〕のという「通り名(呼び名とも)」のとおりに、ひょろりと背が高い。
どちらかというと少女らしく小太りのおまさは、亡母似なのであろう。
店は、忠助おまさの父娘(おやこ)だけでやっている。

おまさが、裏2階から、手習い帖をもって降りてきた。
「おとっつぁんたら、将棋じゃあるまいし、手筋帖だなんて。いつまでも、手習い帖って覚えないんだから。いやんなっちゃう」
「父上に対して、そんな口をきいてはなりません」
「ほらみろ。お旗本の長谷川さまのおっしゃることは、いつも、まちがってない」
忠助も、いまでは、銕三郎のことをすっかり信用している。
「ご亭主。それ、皮肉ですか?」

躰を銕三郎にすり寄せていっしょに自分の手習い帖を見ていたおまさが、突然、言った。
兄さん。女の人と会ってきましたね? どちらの方ですか?」
おまさ。先生にむかって、なんてことを---」
「いや、ほんとうですから、いいんです。よく、わかりましたね」

「違う髪あぶらの匂いがしています。よっぽど、くっつきあったのですね」
「そうではありませぬ。その女(ひと)は、仕事がら、匂いの強い髪あぶらをつけているのでしょう」
「仕事がらって---?」
「料亭の女中頭なのです」
兄さんは、昼間っから、料亭なんぞで---」
「そうではありませぬ。紙屋で---」
「髪や?」
「この手習い帖を買った、屋号が〔紙屋〕という、紙屋です」

それから、〔古都舞喜(ことぶき)〕楼の一件を口にしたとき、〔〕の忠助がまばたきをはげしくしたのに、銕三郎は気がつかなかった。
初鹿野(はじかの)〕の音松や〔舟形(ふながた)〕の宗平の名には聞き覚えがあったのであろう。

「そうそう。お(こん 28歳)おばさんとおみね(7歳)ちゃんが、前のところへ戻ってきました。前の家はふさがっちゃっていて、その隣の家ですけど---」

Photo
(盗人酒場〕とお紺の長屋のある清水町)

「ずいぶん長い納骨でしたね。1年にもなります」
また、忠助がまばたきをした。

たちは、亡夫・万蔵(まんぞう 享年35歳)の納骨に、万蔵の故郷の、足利のはずれの助戸(すけど)へ行ったのであった。

Photo
(足利まわり)

あとになって銕三郎は 、おの出身は下野(しもつけ)の物井(現・栃木県芳賀郡二宮町物井)で、亡夫・万蔵とは江戸で結ばれ、助戸へは行ったことがない---と聞いたのをおもいだした。
(ご亭主の実家とはいえ、初めて会う嫁だから、仏になれば、縁が切れるみたいなものなのに、よくも1年間、食わしてやったものだ)
疑問がわいた。

ちゅうすけからのお願い】もし、足利近辺や、栃木の二宮町にお住まいの鬼平ファンの方が訪問してくださっていたら、それぞれのところの風景なり、鬼平のころの人情をコメント欄にお書き込みいただけると、交流がふかまります。

栃木県二宮町
二宮町大字物井には、二宮尊徳資料館があるんですね。池波さんにも初期の短編[尊徳雲がくれ](『谷中・首ふり坂』新潮文庫 1990.2.15)があります。この短編に、物井郷も登場していますが、お紺の故郷を物井に決めたのは、この短編に拠ってではありません。

助戸公民館

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