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2008.07.20

明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)(4) 

権七どの、ご免」

赤子の泣き声がしている戸口から、銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が声をかけた。
深川の正源寺(浄土宗 現・江東区永代1丁目)の南横手、諸(もろ)町のしもた屋である。
去年の秋から、出産にそなえて、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 35歳)・お須賀(すが 29歳)夫婦が住まっている。

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(南本所 正源寺 権七・お須賀の住まい 近江屋板)

ちゅうすけ注】 正源寺は、『鬼平犯科帳』巻3[麻布ねずみ坂]p15 新装版p15 巻4[あばたの新助]p173 新装版p187 に登場する。いずれも、寺そのものではなく、その裏手の家が舞台。後者は、同心・佐々木新助(29歳)が、大盗〔網切あみきり)〕の甚五郎の情婦・おさい)の色香にはまる初手の情事の場なので、かなり色っぽい。
ついでに---いや、よそう。小説は小説、史実は史実なんだから。佐々木新助の父親が属していた先手組のことなのだが。

須賀は、去年の10月、女の子を産んだ。
銕三郎は、その赤子の名前を頼まれたが、柄でもないと、いくつかの案を出して、夫妻に選ばせた。
けっきょく、お須賀のふるさと・三島からとった「お(しま)」がえらばれた。
いま、元気のいい泣き声で乳をねだっているのは、そのおである。

「変わりばえのしねえ所帯臭さで、申しわけございやせん」
権七は、口では済まながっているが、初めての父親気分は、まんざらでもなさそうである。

銕三郎は、〔古都舞喜〕楼の女中頭で、いまは本所・東両国尾上町の高級料亭〔中村屋〕で女中頭心得のお(とめ 33歳)から聞いた、おという、いわくのありげな女のことを告げた。
「するってえと、豊島町あたりをさぐってみりゃあ、よろしいんで---」
さすがに権七は察しが速い。

参照】文庫巻5[兇賊]p162 新装版p170で、〔鷺原さぎはら)〕の九平が、〔芋酒(いもざけ)・加賀や〕の店を出しているのが、神田川が大川へそそぎこむ、すこし手前の豊島町である。西両国の喧騒のはずれ。p

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(左=両国橋西詰から、右=和泉橋 赤○=〔芋酒・加賀や〕)

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(上図の豊島町1~3丁目拡大 赤○=〔芋酒・加賀や〕)

「火盗改メからの手当ての出ない話をもちこんで、拙もつらいのだが---なにしろ、大叔父が火盗改メを終えたもので---」
「なにをおっしゃいますか。〔古都舞喜〕楼や〔舟形ふながた)〕の宗平どんとは、くされ縁みてえなもんで---」

須賀が、抱いた赤子に胸元をひらいて乳をふくませながら、お茶をだしてきた。
「なんてえ、格好でえ。はしたもねえ」
「仕方がありませんよ。泣かせとくわけにはいきませんからね」
「どうぞ、おかまいなく。すぐに退散しますから---」
須賀のはちきれそうな乳房に、目のやりばに困った銕三郎は、とつぜん、阿記(あき 26歳)に、
「乳を吸いたい」
と甘えた夜のことをおもいだした。

参照】2008年1月30日[与詩をむかえに] (36)

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(国芳『葉奈伊嘉多』)

あれは、大磯の旅籠〔鴫立屋(しぎたつや)だった。
銕三郎(18歳=当時)をいざなった阿記(21歳=当時)が銕三郎の手を乳房に導き、
与詩(6歳=当時)さまと湯へ入りましたら、しげしげと下の茂みをごらんになって、『たけ(竹 府中城内での乳母)のよりこ(濃)いね』ですって」
「そうか」
「ご覧になりますか?」
「いや。そういう趣味はない」
「それからね。乳を吸わせてほしいって。母上が産後、すぐにお亡くなりになったのだそうですね」
「拙も吸いたい」
「まあ」

(そういえば、阿記も25歳のおんなざかり、わが子の於嘉根(かね)は、もう、4歳になる。ひと目でも会いたい)

その後、盗賊〔狐火(きつねび)〕の勇五郎の若い妾・お(18歳=当時)と情をかわしたが、阿記のしっとりとした育ちのよさは、おからは感じられなかった。

【参照】2008年6月2日~ [お静という女] (1) (2) (3) (4) (5)

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(栄泉『玉の茎』[水中流泳] 阿記が自分から言ったイメージ)

長谷川さま。おさんへの連絡(つなぎ)は、〔中村屋〕でよろしいんでやすかい?」
「そこでいいでしょう」
銕三郎は、なぜか、お母子の、松坂町の吾平長屋を打ち明けそびれた。
権七とのあいだにつくった、初めての秘めごとでもあった。
もしかしたら、おもいでの阿記が、なにか秘みつをもったほうがいい---とささやいたのかもしれない。

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