平蔵の練達の人あしらい
(どこへ寄稿したものか、メモしていないが、とりあえず)。
平蔵の練達の人あしらい
火付盗賊改メ・長谷川平蔵のことは文庫『鬼平犯科帳』や中村吉右衛門丈演じるところのテレビで多くの人に知られている。
平蔵は実在した人物だから、その練達の人あしらいぶり、透徹した眼力なども若干ながら伝わっている。
その1。火盗改メに任命されるや、逮捕者は夜中でも役宅へ連行してきてよろしいと町々へ触れた。平蔵の役宅には盗賊用の堅牢をもうけられている。自身番に留めおくと町(ちょう)役人の不寝(ねず)の番とか犯人の食事などで費用がかさんでいたため、町方は大助かりだとよろこんだ。
じっさいに役宅へ連れて行くと、早速に同心が応対に出てきて受けとり、煙草や茶をふるまって休息してゆくようにいい、遠路歩いて腹もすいたであろうと蕎麦の出前をとってくれる。これを報告した松平定信側の隠密はこう書いている。
「冷や飯にお茶漬けを出されてもうれしがらないが、さっと蕎麦屋へ人をやり出前をとってくれると、町人はご馳走になった気になり、恐れ入りもし、ありがたがる。平蔵の人の気の呑みこみぐあいには舌をまく」
天明期の天災(長雨や浅間山噴火の火山灰による農作物の被害)、定信の緊縮令から発した不景気で、盗賊も横行していた。あまりにも多く捕まえすぎた平蔵の役宅では、入牢中の犯人たちに食わせるために大釜で飯を炊くしまつだった。
その2。平蔵は「十手は腰のものと同じとかんがえ、みだりに抜かないように」と組の者へ申しつけてもいた。テレビで盗賊どもをバッシバッシと打ちすえているのは史実無視の視聴率かせぎとみていい。火盗改メの特技ともいえる拷問もほとんどやらなかった。
同心が召し捕った重罪の盗賊をあやまって逃がし、1か月の内に再逮捕できなかったら辞職ものだと噂されていた。ところが20日ほどのちに、
「逃げまわっていても町奉行所の者の手にかかるやもしれない。どうせ捕まるなら慈悲深い長谷川さまの手にかかりたい。逃げるときに縛られていた縄をなくさないように大切にあつかい、こうして持参しました」
こういってその盗賊が自首してきた。
その3。関東一円を荒らしまわっていた巨盗・神稲(しんとう)小僧を武州・大宮宿で捕縛したときも「その形(なり)で牢へ入ったのでは、神稲小僧とまで呼ばれたおぬしのプライドが保てまい」と平蔵は自腹を切って3両(いまの48万円に相当)もする派手な衣装を買いあたえた。
「長谷川平蔵どのは勤役中、賞罰正しく、慈悲心深く、頓知の捌(さば)き多く……」と書いているものの本もある。平蔵の深い慈悲心はひろく知れわたっていた。いや、平蔵が知れわたらせていたのだ。
新聞もテレビもなかった時代のことゆえ、情報は口づてが中心。そこで平蔵は、定信側の隠密を逆利用したり自分の手の密偵たちにいいつけて、神稲小僧への温情や自首した盗賊、十手の使用制限の件が悪人たちの耳へとどくように計り、役宅での出前蕎麦のふるまいなどのことが町役人の口から広まるように仕組んだ。
なんのために? 賊の中に平蔵の慈悲心に心をうたれて動揺する者をだすため。平蔵は10人の賊のうち半分は根っからの悪人だが、あとの5人は改心する見込みがあると信じていた。
噂で盗賊が自首してくれば、これほど手間がはぶけ費用も節約できることはない。長谷川組の検挙率が平蔵の前後の火盗改メよりも抜群に高かったのをみても、平蔵の目論見はけっこう成功していたといっていい。
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コメント
情報操作にとんだ、平蔵の手腕が窺い知れます。
今日から新しい企画が始まるようで期待してます。
投稿: みやこのお豊 | 2006.09.19 07:57
企画というほどのものではありません。
ファンには必須のデータと考えてつづけた項目明細でしたが、さほどには読まれていないみたいなので---でも、ファン度が高まればぜったいに必備のデータのはずなので、今後はびとびにとおもいなおしたものですから。
投稿: ちゅうすけ | 2006.09.19 17:51