不穏な予感(3)
「今助どんのところは---?」
水をむけられた今助(いますけ 38歳)は、口にふくんだばかりの軍鶏をあわてて飲みこみ、
「廻り貸し本屋は6人には40冊ずつ割り当てておきやしたら、今日までに7割方さばいたようで、売りきるのはあと7日のうちでやしょう。それより、若いのに歩合をつけて寺町筋や浅草寺界隈の坊に檀家用といって3冊ずつ売りこませ、残りは10冊もありやせん」
「今助どん。そうやって全部はかしてしまうと、ここ{銀波楼〕の常連客の分がないと、小浪(こなみ)女将からお小言がでないかね?」
平蔵(へいぞう 40歳)がひやかし半分に口にしたところへ、当の小浪(46歳)が仲居に新しいちろりを数本もたせて入ってき、まん前に座り、
「ほんま、長谷川のお殿はん、お見通しが冴えてはる。今助はんに30冊ゆうたんどすけど、うち用は10冊しかのこらへしまへんどした」
隣り座の権七(ごんしち 53歳)がとりなしぎみに、
「女将さん。お入り用なら、うちの板元分から10冊、おまわししましょう」
「おおきに。大助かりどす」
小浪に酌を返しながら、
「今助どん。お寺さんからの八味地黄丸(はちみじおうがん)の注文数は---?」
「いまのところ、80口ほどでやす。怪訝なのは、おなご用の当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)の申し込みが50口ほどあったことでやす」
「80のお寺はんにあの『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』を3冊ずつ押しつけたのに、当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)が50口ゆうことは、ほとんどのお寺はんが通い大黒はんを囲ってはるゆうこと---」
小浪が意味ありげに微笑みながら種明あかしをした。
徒(かち)の組頭のひきしまった顔の平蔵が、
「今助どん。ぬかりはあるまいが、お寺さんが生薬を注文しても毛筋一つ動かすでないと。配下の若い衆にきつくいいきかせておくこと」
終わってにやりとくずした。
今助と平蔵のやりとりを、〔音羽(おとわ)〕の祇右衛門が(ぎえもん 22歳)せっせと書き控えている。
[若き 獅子たちの集い]の書き役なのであった。
その姿を、父親の重右衛門(じゅうえもん 58歳)がたのもしげに瞶(み)つめている。
その祇右衛門に、
「書き役どの。街道筋の元締衆への廻状には、これから申すことも書き添えておいてほしい。廻り貸し本の『剛(ごう)、もっと剛(つよ)く』の買い取り、廻し売りは2度までにかぎり、3度目に買いとったらかならず焼き捨てるように、廻し貸し本屋にきつく申し渡しておくこと」
座が一瞬、しーんとなった。
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