平蔵の土竜(もぐら)叩き(10)
(悦三を使うとして---)
胸のうちでつぶやき、灯芯をあげ、『孫子』[用閒編]をひらき、「反閒(はんかん)」の項に目をこらした。
5種ある間諜のうち、買収・翻意させた敵方の者を、「因閒(いんかん)」「内閒(ないかん)」「反閒」に分類している。
「反閒」は、潜入してきていた間諜をこちら側につかせ、相手方を混乱させるために使う。
必ず敵人の閒(かん)を索(さが)し、来たりて我(われ)を閒(うかが)う者は、因(よ)りて之(こ)れを利し、導きて之れを舎(やど閒)らしむ。
故(ゆえ)に反閒得て用う可(べ)きなり。
(敵方の間諜がいないか、たえず疑惑の念をもって探索し、潜入してこちらの情勢を探っている者を見つけたら、手だてを講じてその者に利得を給してこちら側へつかせる。
そのようにして、その者にこちら側の諜報活動に利用するのである)
これは、1国なl、1藩なり、1軍なりの命運がかかっている場合の教訓であろう。
先手・弓の第2の組に潜入した悦三は、どのていどの任務をさずかったいたろう?
組の見廻り道順とか、探索のすすみぐあい、出動の日時・場所の予知といったことであろうか?
組頭・与力の性格や生活ぐあいまで報じていたであろうか?
盗人側から火盗改メや町奉行所の密偵に転んだ者も探っていたであろうか?
処分する前に、悦三にいいつけられていた任務のあれこれをしっておく必要がある。
それには、悦三の日常をしらべなくては---。
同心・吉田藤七(とうしち 40歳)によると、牢番は8人おり、2人ずつ組となり、日勤2組、徹夜組、非番組を交替でやっていると。
平蔵(へいぞう 36歳)はまず、悦三が先手・弓の2の組に雇われたときのことを想像してみた。
18歳であったという。
17年前だ。
銕三郎(てつさぶろう)の時代であった。
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』では、銕三郎は17歳まで巣鴨本村の祖父の家に預けられ、自由奔放に育ったことになっている。(文庫巻1[本所・桜屋敷]p57 新装版p61)
これが、池波さんの類推であることは、何回もあかした、
辰蔵(たつぞう のち山城守)が呈上した「先祖書」はそうではない。
生まれたのは赤坂築地。
5歳から19歳まで築地鉄砲洲で育った。
それでこのブログでは、養女として銕三郎の次妹になる与詩(よし 6歳=当時)を駿府へ迎えに行くために、18歳だった銕三郎を東海道を上らせた。
箱根で人妻・阿記(あき 21歳=当時)と知り合い、鎌倉までの昼夜をともにした。
以下は、18歳の若者と21歳の離婚決意した人妻に、ふとした機会が訪れたら、どのようなイタ・セクスアリス
が訪れるか、お時間の許すかぎり、おのぞきいただきたい。
【参照】20071228~[与詩(よし)を迎えに] (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (25) (26) (27) (28) (29) (30) (31) (32) (33) (34) (35) (36) (37) (38) (39) (40) (41)
羽前国最上郡(もがみこおり)本堀内村(現・山形県最上郡舟形町堀内)を幾歳のときに出、どこで〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへい 60歳前)とどんなぐあいに知りあい、どんな手だてで庄内藩江戸屋敷の用人・瀬川某の推薦状を入手したかはしらない。
けれど、悪の道へはいっていた18歳の男のことである、おんなの味はしっていたろう。
その後も、やむということはあるまい。
そのことをしっている者をまず探そう。
平蔵は下城の途次、黒船橋北詰の町駕篭〔箱根屋〕の主(あるじ)・権七(ごんしち 49歳)に、2,3日、人手を借りたいと頼んだ。
悦三の夜の所業を見張るためと告げると、顔見しりの時次(ときじ 29歳)と、若い与三郎(よさぶろう 21歳)を使ってくれとの返事であった。
時次たちは、2日のうちに尾行(つ)けた結果をもたらした。
九段下飯田町・俎板(まないた)橋北詰の役宅の門脇のくぐり戸からでた悦三は、江戸川にぞいに音羽8丁目の娼家〔初音〕へあがったと。
音羽8丁目は、先手・弓の2番手の組屋敷のある目白台から坂をくだったすぐのところにあった。
平蔵は、松造(よしぞう 30歳)を贄(にえ) 越前守元寿(もととし)の役宅へやり、同心・吉田藤七(とうしち 40歳)に、火盗改メのこれまでの組頭の屋敷を確認してもらった。
(ちゅうすけ注)すでに記したこともある屋敷も、おさらいの意味で再録しておく。
赤井安芸守忠晶ただあきら 1400石)
任 安永2年(1773)1月11日(37歳 小十人ヨリ)
同年 火盗改メ
屋敷 裏六番町
菅沼藤十郎定亨(さだゆき 2025石)
任 安永3年(1774)う3月20日(45歳 西丸目付ヨリ)
同日 火盗改メ
屋敷 大久保安藤対馬守跡地
赤井安芸守の裏六番町から音羽は、いまの贄 越前守の屋敷からと、どどっこいどっこいの距離であった。
すぐさま、音羽の元締・重右衛門(じゅうえもん 55歳)に、娼家〔鳥越屋〕での悦三がなじんでいる相娼(ふあいかた)を調べてくれるよう、町飛脚に託した。
【参照】2011年1月25日~[平蔵の土竜(もぐら)叩き] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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コメント
おんなを調べる---捜査の常道ですな。こういうときに、権七どん重右衛門どんとの日ごろの深交がものをいいます。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.02.03 06:28
>文くばりの丈太 さん
御意(孫さん流に---)。
投稿: ちゅうすけ | 2011.02.05 08:20