平蔵の土竜(もぐら)叩き(12)
「悦三。おぬしが〔.舟形(ふながた)〕の宗平(そうへえ)に誘われたのは、宗平が〔蓑火(みのひ)〕のお頭(かしら)のところを離れたときではないのか?」
平蔵(へいぞう 36歳)の指摘は、的を射たようであった。
うつむいてしまった悦三(えつぞう 35歳)は、しばらく顔をあげられず、平蔵が〔舟形〕の爺(と)っつぁんから宗平と呼びすてに変えていることも意識にのぼらなかった。
「悦三。〔蓑火〕が宗平を手放さざるをえなかった理由(わけ)を、宗平はおぬしになんと説明したかな?」
返事をしないのを見かねた〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 55歳)が、低いが威圧感のある声で、
「悦三どん。長谷川さまにさからっちゃあ、助かるはずのお前さんの命が、消えちまうぜ」
おもわず顔をおけて瞶(み)つめてきた悦三に、重右衛門がゆっくり首をふり、脇のお甲(こう 28歳)にうなずいた。
「〔舟形〕のは、〔蓑火〕のお頭から、〔初鹿野(はじかの)〕のが独り立ちしたから、軍者として助(す)けるように頼まれたので、いっしょにこないか---と」
「それは違うな。ま、人間は誰でも、自分に都合がよいように事態を納得するものだ。〔舟形〕が------」
悦三が平蔵のつぎの言葉を待った。
ゆっくりと茶を手にし、一口含んだ湯飲みを茶托へ戻し、悦三へ微笑みかけ、
「〔蓑火〕が宗平を追放したのは---自分たちを守るためだったのだよ」
「------」
納得しなかった。
「あのな、悦三。〔舟形〕のには、奇妙な癖があろう?」
「------」
「わからぬか。くしゃみだよ。盗(つとめ)にはいっても、寒暖がちょっと変わると、くしゃみがでるであろう?」
悦三が、つい、うなずいたが、まだ、納得顔ではなかった。
「店の者たちに目隠しの布を巻いても、耳まではふさげない。宗平のくしゃみ癖は覚えられてしまう。つまり、どの一味の仕業か、火盗改メにつつぬけになる」
手妻にでもかかったように、悦三が深く合点してしまった。
それを見た重右衛門が笑みをうかべて平蔵を見た。
【参照】2008年4月19日[十如是(じゅうにょぜ)] (4)
2008年8月2日~[{梅川 〕の仲居・かお松] (2)
「つまり、〔舟形〕の宗平は、くしゃみ癖をなおさないかぎり、いずれ、〔初鹿野〕の音松(おとまつ)一味からも追放されよう」
悦三は、放心したような焦点のさだまらない目を平蔵にむけていた。
「そこでだ、悦三。おぬし、〔舟形〕のにこのことを告げ、くしゃみ癖を治せる医師は、いまのこの国では、躋寿館(せいじゅかん のちに医学館)の多紀元悳(もとのり)法眼先生しかおらぬと教えろ」
「あっ---」
悦三が小さく驚きの嘆声を発した。
「ただし、ただではすまぬぞ。奪った金の全部とはいわぬ、半分は返さないことには、な」
目白坂の中ほどの目白不動堂の境内の料理茶屋〔関口屋〕の奥座敷で、平蔵がいいきった。
(切絵図 音羽・目白坂の目白不動堂 池波さん愛用の近江屋板)
【ちゅうすけ注】目白不動堂は戦災で焼失したが、目白不動明王像は宿坂通り金乗院(豊島区高田2丁目)に安置された。
(目白不動明王像 金乗院の小冊子より)
【参照】2011年1月25日~[平蔵の土竜(もぐら)叩き] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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コメント
舟形の宗平のくしゃみ--というので、かつて彼が紅花染めの手布を使っていたというのを思い出し、「紅花染め」で検索したら、4年前の「十如是」にヒットしました。
4年前から伏線がはられたていたのか、今回、4年前の紅花染めの結末をつけたのか、どっちにしても堪能しました。
これは、どえらい長編ブログなんですね。
投稿: 文くばりの丈太 | 2011.02.05 06:16
>文くばりの丈太 さん
わざわざの検索、ありがとうございます。
紅花染めが、こんなところで再登場したのは、神がくだってきたといいましょうか、まったく、突然、ひらめいた結果です。
こういう不思議なことも、人間の頭脳にはおきるんですね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.02.05 08:25