平蔵の土竜(もぐら)叩き(2)
「牢番ですか?」
筆頭与力の脇屋清助(きよよし 53歳)が訊き返した。
平蔵(へいぞう 36歳)の来訪の狙いの真意をはかりかねていたが、まさか、牢番の人数が話題とは予想もしていなかった。
「仮牢が男女一つずつあるので、8人が交替で詰めています」
「8人のうち、前任の土屋(帯刀守直 もりなお 48歳)さまのところから引き継がれたのは?」
「さて---と、担当の同心・吉田藤七(とうしち 40歳)を呼びましょう」
吉田同心は、小柄で、はやくも頭髪が薄くなりはじめた貧相な風体であったが、仕事まわりのことには精通していた。
「土屋さまのところからゆずり受けましたのは6人でございます」
【ちゅうすけ注】吉田藤七同心につしては聖典巻15 p210 新装版p218を。そう、木村忠吾の舅になった仁である
土屋帯刀守直が、使番から安永5年(1776)12月12日に先手・弓の2番の組頭に発令され、2日後には火盗改メの辞令とともに組替えも命じられた理由(わけ)はすでに推察している。
【参照】2010年8月2日~[先手・弓の2番手組頭の謎] (1) (2)
火盗改メに本役、助役(すけやく)、増役(ましやく)があることは、このブログの読み手であれば、もう、すっかりご承知であろう。
助役は、火災の多い晩秋から冬場、そして晩春までが任期であった。
対する本役は、季節をとわず、年中任務についていた。
したがって、本役の交替は、切り目なしであった。
いま、平蔵が訪れている役宅の主・贄(にえ) 越前守正寿(まさとし 41歳 300俵)も、土屋から本役を引き継いでいた。
火盗改メ・本役の任期は、1年から2年としたもので、長くても3年で、贄(にえ) 正寿のあしかけ5年、長谷川平蔵の8年は異例中の異例である。
この2人の任期が長すぎた理由(わけ)ここでは述べず、別の機会に書く.。
本役から本役へ引き継がれるのは任務だけではない。
任務を遂行していくための諸施設---仮牢、捕物道具、拷問用具などのほかに、牢番といった、ふつうの先手組頭であれば必要としないものもあった。
任務が終われば邪魔になるだけであるから、後任者へいくばくかの金銭でゆずられた。
したがって、仮牢とか道具部屋は組み立て・分解式になっていた。
平蔵が、牢番の人数を訊いたのも、これで納得いただけたとおもう。
そう、火盗改メの内情をうさぎ人(にん きき耳屋)へ売る者としてもいちばん先に疑っていいのは、組み立て式の仮牢とともに本役から本役へと引き継がれる牢番なのである。
盗賊側としても、一度口をかけてかかわりをつけておけば、次の火盗改メの屋敷へ移っても、そのまま用が達せられる。
平蔵がゆずられ牢番に目をつけたのは、18年前に、火盗改メ本役をしていた本多采女紀品(のりただ 49歳\=当時)の表六番町の屋敷で、そういったしくみを見学していたからであった。
【参照】2008年2月18日[本多采女紀品(のりただ)(] (7)
(贄越前守正寿の個人譜)
(土屋帯刀守直個人譜)
【参照】2010年1月25日~[平蔵の土竜(もぐら)叩き] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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コメント
牢番のゆずり渡しは、さすがの池波先生もおよびがいっていませんでしたね。
投稿: 左兵衛佐 | 2011.01.26 10:24
>左兵衛佐 さん
聖典で牢番の名がでてくるのは、文庫巻10
[犬神の権七]の市之助と藤七だけですね。
投稿: ちゅうすけ | 2011.01.26 17:30
楽しみに拝見しております。
2点だけ気になる点がありますので訂正される事を提案いたします。
盗賊の中で「馬越の仁兵衛」の呼び名が「うまこし」となっていますが、 正しくは「まごし」と発します。
もう1ヶ所は住所の表示です。私は *越後国三島(みしま)郡馬越(新潟県三島郡坂町馬越)と記載されているいますが、正しくは「板町」ではなく、「与板町」です。私は同町の出身で馬越にある寺の檀家ですが、現在の正しい住所は、長岡市与板町馬越」です。
与板町は大河ドラマで一躍知られるようになりました「直江兼続」の納めた土地で、江戸期の領主であった、彦根の井伊家の分家としてき来た井伊家よりも、心情的には直江のお殿様の方が好きな人が多い土地柄です。
これからも楽しみに拝見させて頂ます。
投稿: 高槻 英利 | 2011.02.09 21:02
>高槻 英利 さん
貴重なコメント、ありがとうございました。
この6年間、1日も欠かさずアップをつづけ、今日(2月10日)が2,290日目にあたります。
高槻 さんのコメントは2,810番目---それがこんなにうれしいコメントになるとは!
馬越に濁音をつけ忘れているところは、検索でもひっかかりませんが、左窓のカテゴリー[盗賊の県別出身地]の新潟県の部では、まごしとなっていました。
市町村合併は、注意していましても、東京住まいですと、つい、見のがします。アクセスしてくださる仲間の方々からのご指摘がもっとも頼りです。
これからも、ご教示くださいますよう、お願いいたします。
テキストは、1日分をアップするために、何日も資料づくりをすることが多く、念を入れているつもりですが、ときどきポカをやるのは、どうも、性格のようです。お支えくださいますよう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.02.10 09:28
>高槻 英利 さん
うっかり、していました。
馬越は長岡市に編入されたのですね。
長岡藩といえば、山本五十六さんは藩士のご子息でしたね。
元帥の搭乗機が落ちたブーゲンビル島のジャングルの現地へ、ヘリコプーで降り、遺跡の機の右翼に、有田の窯元で焼かせた「鎮魂・山本五十六元帥」という磁器板をセメントで固定させたことがありました。
25年ほど前のことです。
投稿: ちゅうすけ | 2011.02.10 09:42