先手・弓の2番手組頭の謎(2)
遠国(おんごく)奉行としては、京都、大坂が1ランク上で、1500石格 役料・現米600石。
奈良、長崎、山田、佐渡は1000石格、役料1500俵。
だから、平蔵宣雄(のぶお 享年55歳)の京都西町奉行は、たいへんな抜擢であった。
菅沼藤十郎定亨(さだゆき 47歳 2025石)は、持高勤めで、受けとれるのは役料1500俵。
しかし、藤十郎定亨にしてみると、召使い頭・於佐和(さわ 32歳)を伴っていたとはいえ、体調がおもわしくないのに、長い旅程、不馴れな土地での暮らしが寿命をちぢめたろう。
【参照】2010年7月25日[藤次郎の初体験] (6)
先手組頭と遠国奉行の奈良奉行の幕臣としての違いは、前者が番方(ばんかた 武官)のあつかいであるのに、遠国奉行は役方(やくかた 行政官)ということであろうか。
戦火が絶えて久しい安永のころ、どちらかというと、役方のほうが内実は、重く見られていたと見るのだが。
菅沼定亨の奈良奉行への転出に、香具師(やし)の元締たちに夜廻りの手札を下げわたしたことがかかわったとはおもえない。
咎められたのであれば、出仕の差しひかえが、まず、くる。
藤十郎定亨の〔個人譜〕には、そのような記述は見あたらない。
出仕の差しとめの記載はない。
菅沼定亨が赴任地へおもむく前に、平蔵(へいぞう 31歳)は、小石川大塚の屋敷へお祝いの品を届けた。
定亨は諸方へのあいさつへ出向いていて留守をしていたが、与力筆頭の脇屋清吉(きよよし 48歳)が迎えてくれ、
「土屋さまがご着任になる弓の7番手の筆頭与力・高遠(たかとう)どのが、長谷川さまのこと、ご存じでした」
「次席から筆頭におなりでしたか。ずっと以前に、〔初鹿野(はじかの)〕という盗賊のことで、かかわりをもったことがありました」
【参照】2008年3月31日~[〔初鹿野(はじかの)〕の音松] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
「そうだそうですな。なつがしがっておられました」
(歳月がたつと、よけいな枝葉がおち、ものごとが美しくみえてくるものらしい)
「あの組は、番町の大伯父の太郎兵衛正直が組頭をしておりましたから、高遠どのもそれなりに気を遣ってくださり---」
「新しいお頭の土屋帯刀さまに、平蔵どのを推薦しておくと申されておりました。それと、元締衆への手札も、高遠どのがお手配なさるそうです」
「それから」と、脇屋筆頭が、菅沼家の釘抜の定紋を染め抜いた紫のふくさに包まれたものを、
「お頭から、平蔵どのへ、記念にと---」(釘抜の家紋)
包まれていたのは、火盗改メの長官用の銀ながしの長い十手であった。
「釘抜は、わが家の替え紋です。ふくさともども、大切にお預かりいたしすと、お礼をお伝えください。それから、くれぐれもお体、おいたわりになりますようにと---」
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コメント
遠国奉行のこと、よくわかりました。宣雄さまの京都町奉行は大抜擢だったことものみこめました。
いつものことながら、ありがとうございます。
投稿: tomo | 2010.08.05 06:40
>tomo さん
どこまで書けばいいかって、いつも悩んでいます。
「鬼平ファンなら、こんなことは百もご承知であろう」と推察したり、「いや、こういう目線なさっていまい」と勝手な憶測したり---。
ファンの気持ちを尊重しながら書いていくのって、結構むつかしい。
ご叱正をいただくとわかってくるんですが。
投稿: ちゅうすけ | 2010.08.05 07:31