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2008.02.18

本多采女紀品(のりただ)(7)

「夜のご巡視を控えておられますのに、ご厚意に甘えて、とんだ長居をいたしました」
先手・鉄砲(つつ)の16番手の組頭(くみがしら)・本多采女(うねめ)紀品(のりただ 49歳)の書院で、長谷川平蔵宣雄(のぶお 45歳)が言った。
もちろん、小十人の組頭時代は先輩後輩の仲だし、気があった者同士だから、言葉ほどには恐縮してはいない。
季節は、宝暦(ほうりゃく)13年(1763)2月下旬。桜花もそろそろ終わるころあい。

「なに、夜廻りは五ッ半(午後9時)からでござる。それより、長谷川どのもいずれ、火盗改メを仰せつけられよう。この機会に、白洲や仮牢など、ご覧になっておかれますかな?」
先刻から、当直の与力・同心たちが、客を気にしいしい、打ち合わせのために、本多紀品のところへ出入りしているのを、宣雄の息・銕三郎(てつさぶろう)宣以(のぶため 18歳)が興味津々の体(てい)で見ているのを察して、すすめた。
案の条、父・宣雄よりも先に、銕三郎が応じる。
本多さま。ぜひぜひ---」

紀品は、そんな銕三郎を微笑みの目で見やりながら、与力の一人を呼んで、案内をするようにいいつけた。

「こちらが白洲です」
内庭にしつらえられた、幅1間半(2m70cm)、長さ2間半(4m50cm)ほど、平らな三和土(たたき)になっている。
「白砂が撒かれているのかと思っておりました」
銕三郎
「三和土の時に混ぜる石灰が白いので、白洲というのでしょうか。火盗改メの白洲の大きさはこの程度ですが、町方(まちかた)の奉行所の白洲は、この3倍ほどもあります。われわれ火盗改メは、なにごとにつけても仮ですから---」
案内してくれている30がらみの背の高い与力の説明には、いささかも自嘲の口ぶりはない。
火盗改メの役宅の設備が、万事、小規模なところを、世間が称して、「町奉行は桧舞台、火盗はおででこ芝居」と揶揄(やゆ)していた。

「おででこ芝居」とは、神社などに仮がけの小屋をつくってやる旅廻りの芝居である。
そう書いたのは、江戸の諸事に詳しかった三田村鳶魚(えんぎょ)翁である。

池波さんは『鬼平犯科帳』で、それを「町奉行は桧舞台、盗賊改メは乞食芝居」と改めた。
いまの読者にはこのほうが理解しやすい、と判断したのだろう(文庫巻1[唖の十蔵]p13 新装版p13)。

(ぼくは、このことから、池波さんが三田村翁捕物の話』(早稲田大学出版部 昭和9年 のち中公文庫)から、長谷川平蔵を見つけたなと推察をつけた。

そうそう、『鬼平犯科帳』の、清水門外の役宅は、池波さんも、お頭の屋敷が役宅ということは承知の上で仮りにしつらえたもの)。

「白洲の向こうの塀の外に、証(あか)し人や町(ちょう)役人、身許引き受けの大家(おおや)などが控える腰掛が設けられています」

「これが仮牢です」
「2小間でたりるのでございますか?」
興味津々の銕三郎の問いである。
「ここには長くは置かないのです。2,3日で伝馬町の牢へ預けます。吟味の時に伝馬町からここへ連れてきます」
「伝馬町から、この番町まででございますか?」
「そうです。牢へ入れている者の食事の代(しろ)は、お上からは出ないで、お頭の懐から出るのです。ここへ永く入牢させておくと、それだけお頭の負担が増します。また、入牢者が多いと、牢番も増やさなければなりませぬ。牢番の手当てもお上はみてはくださらないのです」

「ここが、捕り物に使う刺股(さすまた)や分銅つきの投げ縄などを置いている武具小屋です」
「火盗改メのお役目が解かれたあと、これらの武具はどうなさるのでしょう?」
と、宣雄
「次にお役におつきになる組へお譲りします。これらも前任の組から譲られたものです、仮牢も組み立て式になっているために移設が可能なのです」

「順繰りにまわしていけるのはいいですな。で、一式、いかほどでしょう?」
「お人とお人の相対(あいたい)で決まるようです。手前は勘定方でないので立ち会ってはおりませぬすが、うちのお頭の場合は300両前後だったような、噂です」
「300両---」
「火盗改メしか使い道がないものなのに---です。このほか、白洲や内庭の塀、腰掛の仕切りなどは移転できませぬから、別に費用がかかります。さらに、うちのお頭のように、1300坪もの屋敷を拝領されていれば、どんな造作もこなせますが、500坪ほどの敷地のお方は、武具小屋などは、隣の屋敷の裏庭の一部をお借りになるようで、そのお礼もばかにならないと聞いております」

「500坪では---無理ですか」
いまは、500坪にちょっと足りない屋敷に住んでいる宣雄の溜息である。
「一番の難題は、拷問小屋です。家族の者には悲鳴は聞かせたくはないでしょうが、お上からは見せしめのために、なるべく屋敷の外までとどくように、と申し渡されているのです」

参考】2006年6月12日[現代語訳・松平太郎著『江戸時代制度の研究』火附盗賊改 (1) (2) (3)

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