平蔵の土竜(もぐら)叩き
「与頭(くみがしら)さまがお召しです」
同朋(どうぼう 茶坊主)に告げられた。
控え部屋へいくと、牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 61歳 800俵)が、前歯が3本ほどかけた不明瞭な声で、用意した通行証を手わたしながら、俎板(まないた)橋西詰の贄(にえ) 越前(守正寿 まさとし 41歳)の役宅へ出向くように命じ、
「長谷川は、書院番士よりも、火盗改メの組下のほうが向いておるようだな」
苦笑した。
平蔵(へいぞう 36歳)から贄組に、そう働きかけたことを読みきっていたからであろう。
すぐに笑顔に戻し、つけくわえた。
「3の組の与頭・内藤(左七尚庸 なおつね 71歳 465石)どのが、〔季四〕がたいそうお気に入りでの、また参ろうとせっつかれておる」
昨冬、西丸の書院番の4与頭が里貴(りき 37歳)のもてなしをうけた。
牟礼与頭は6年前から里貴の才覚と愛嬌を買っていたが、先任の内藤尚庸のめがねにもかない、ご満悦らしかった。
【参照】2010年12月18日[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (1)
(里貴が紀州・貴志村から戻ってきてくれ、おれはずいぶんと得点している)
役人として、こころきいたもてなし場をもっていることは、上下左右への評価があがる。
そのことでは、里貴を引きあわせてくれた本城・小姓組の夏目藤四郎信栄(のぶひさ 30歳 300俵)に感謝しないといけない。
【参照】2009年12月20日~[夏目藤四郎信栄(のぶひさ)] (2) (3) (4)
2009年12月25日~[茶寮〔貴志〕のお里貴(りき)] () (1 (2) (3) (4)
2010118[三河町の御宿(みしゃく)稲荷脇] (1) (2)
西丸から贄邸へまわるときのいつもの順路にしたがい、桜田濠、半蔵濠、千鳥ヶ渕とたどった。
いつもと異なったのは、千鳥ヶ渕で土手の小さな土盛りから、鼠のような小動物がこちらをうかがったことであった。
「土竜(もぐら)だな」
それでひらめいた。
(土竜叩き---と名づけよう)
このあいだから平蔵が思念していたのは、盗人たちがはりめぐらせている連絡(つなぎ)の網の緻密さであった。
相手方は、この構築と活用のために、合算すると膨大な金を投じているにちがいない。
江戸で犯行(つとめ)をほとんどしない〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 62歳)ですら、江戸に直(じか)うさぎ3人、独りうさぎ7人も置いているといったではないか。
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 60歳)だって同じであろう。
(それに対抗する資金は、俸禄わずか400石のおれに出せるはずがない。
〔化粧(けわい)読みうり〕の板元料の分け前は、ほとんど社交費に費消してしまっている。人手にいたっては、まわせる手などないにひとしい)
あてにできるのは、火盗改メ・贄 越前守正寿が使える公金と人手しかない。
その交渉に向かっている。
(あのご仁なら、きっと話にのってくださろう)
【参照】2010年12月4日~[先手弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2010年1月25日~[平蔵の土竜(もぐら)叩き] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13)
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