先手・弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿(4)
「われが『貞観(じょうがん)政要』に初めて接したのは、宝暦元年(1751)、すでに大納言であられた竹千代(たけちよ 15歳)ぎみの伽衆として出仕したときでな」
先手・弓の2組の組頭(くみがしら)で、安永8年(1789)正月16日に火盗改メを拝命した贄(にえ)安芸守正寿(まさとし 39歳 300石)が、目を細め、思い出をかみしめる口調で話しはじめた。
列席していた同組の筆頭与力・脇屋清助(きよよし 52歳)は、すでに幾度も聞いているはずだが、初めてしる挿話のごとくに耳をかたむける。
講じたのは、竹千代が9歳のときからの四書五経の師・成嶋道筑信遍(のぶゆき 72歳=安永8年)であった。
将軍となったときに信条となる書籍を、のちのち諫言の士となってくれる者とともに学びたいと望んだので、『貞観政要』を、大御所・吉宗(よしむね)が選んだという。
『徳川実紀』の[淩明院殿付録]に、
有徳院殿(よしむね)、常にのたまひしは、竹千代(淩明院殿御小字)に物学びさするも、我世にあるほどの事こそあれ。わが世になからん後には、いかなる障礙の出来て、廃学に及ぶ事のなかるべきにもあらず。
竹千代の修学をいそいでもいた。
山本七平さんに『帝王学「貞観政要」の読み方』(日本経済新聞社 1983 のち日経ビジネス人文庫 2001)があり、前書きに---
「貞観の治---これは中国では、理想的な統治が行われた時代の一つとして、後代の模範とされた時代である。日本は中国の影響を強く受けたといわれるが、正しくはむしろ「唐の時代の影響を最も強く受け、後に宋学の影響も受けた」というべきあろう。
これは日本の文化にとって、非常に幸運であった。他の文化を輸入して継承したケースは多くの国にあるが、それは必ずしもその国の最高とされる時代のものではなく、時には頽廃を輸入・継承する場合もある。
ところが日本は、唐が衰退・頽廃の時代に入ったころは、遣唐使の派遣をやめてしまって、すでに得たものを自己の伝統の中に組み込むことに専念していた。
従って、「貞観政要」的な考え方・見方は、一種の「感覚(センス)」となって現代にも残っている。
(略)
本書はまず帝王の必読書として天皇に進講され、やがて北条、足利、徳川氏らが用い、民間でも知識人の必読書として読まれた。
(略)
面白いことに日蓮はこの書を筆写している。
(略)
そういう一般的な影響とは別に、本書から強く影響をうけた代表的人物をあげれば、一人は尼将軍北条政子、もう一人が徳川家康である。
(略)
政子や家康が、、「貞観政要」を一心に読んだのも、その前に「創業」に成功して「守文」に失敗したものがいたからであろう。
武家政治の創業はむしろ平清盛であろうし、全国統一の創業は信長、完成者は秀吉であろう。
なぜ彼らは維持・守成できなかったのか、どうしたらその轍を踏まないですむか。
この問題意識があったからであろう。
私は、政子が読んだのは頼朝が読んでいたからでないかと想像しているが、そう想像する理由は、頼朝自身に常に「守文」(維持)という意識が明確にあるからである。
そして、以上のような意識をもてば、「貞観政要」はまさに格好の教科書だからである。
というのは、この書の主人公である唐の太宗が、頼朝や家康に、やや似た位置にいたからである。
そして、「貞観政要」から唐のニ百八十九年の維持の基本を学んだことが、鎌倉百四十年、徳川ニ百七十年の、重要な要因であったろう。
(竹千代たちに『貞観政要』を講じた成嶋道筑信遍の個人譜)
【参照】2010年12月4日~[先手・弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (5) (6) (7) (8)
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コメント
山本七平さんの『「貞観政要」の読み方』は文庫になっていましたか。
さっそく、書店をあたってみます。
お教え、ありがとうございました。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.12.07 05:33
成嶋道筑信遍が日光御社参の御供に漏れて「あぢきなく 頭の雪と降りはてむ 黒髪山も登り得ぬ身は」と詠んだことを、吉宗に言上したのは田沼意行(田沼意次の父)であると後藤一朗氏はその著「田沼意次」で著しています。そういうことなら 田沼意行・意次→成嶋道筑信遍→贄安芸守正寿→平蔵 のラインがありえますか?
投稿: 安池欣一 | 2010.12.07 09:32
>文くばりの丈太 さん
文庫は、文春文庫にもなっています。
日経ビジネス人文庫は、よほど大きな書店でないと置いていないかもしれません。
文春文庫なら、手軽に入手できましょう。
いまごろ、文春が文庫にしたのには、なにかブーム再来の気配がありますね。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.07 14:28
>安池欣一 さん
田沼意行・意次→成嶋道筑信遍→贄安芸守正寿→平蔵の線はあったとおもいますよ。
というのは、贄安芸守正寿は家治の腹心中の腹心でしょう。
それに、先手・弓の2組を引きついだ平蔵です、いたるところに、贄安芸守正寿の吐いた息があり、与力・同心たちからもそれを感じたとおもいます。
ただ、史料はなかなかみつかりません、いまでは、平蔵よりも贄安芸守正寿の史料を見つけるほうがむつかしいくらいです。
投稿: ちゅうすけ | 2010.12.07 14:38