先手・弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿(8)
「有徳院殿(吉宗 よしむね 享年68歳=宝暦元年)さまが復活なされた徒(かち)の士による大川の水練、水馬も、再興されておる」
贄(にえ) 安芸守正寿(まさとし 39歳 300石)の言葉に、平蔵(へいぞう 34歳)は躊躇なくうなずいた。
たしかに、家治(いえはる)は、祖父・吉宗の教えをよく守っていた。
「われを火盗改メにお命じになったのも、盗賊どもがはびこっては町々の者が安眠できまいとのご温情からであった」
「いかにも---」
応じた贄 組の筆頭与力・脇屋清吉(きよよし 52歳)は湯呑みを茶托へ戻し、平蔵へ、
「秘報であるが、先夜、神田佐久間町の躋寿館(さいじゅかん のちに医学館)に侵入した賊があった---」
正寿がすぐに言葉を足した。
「躋寿館の敷地つづきに居宅を賜っておる多紀(たき)法眼(ほうがん)どののほうだがな」
医科学校ともいえる躋寿館の学頭が多紀家であった。
当夜、学頭の法眼・元孝(もとたか 69歳 200俵)は、持病の血のめぐりの具合が悪く、駒込追分村の本屋敷に臥っており、敷地内の居宅には息・元悳(もとのり 50歳)夫妻と孫・元簡(もとやす 25歳)が起居していた。
「長谷川うじ。このような供応の席で披露する話題ではない。あらためて、お暇なおりにでも役宅へお越しになって脇屋筆頭から聞くなり、係りの同心を呼ぶなりしてくだされ」
贄 組頭が鷹揚にいい、お開きとした。
玄関で、脇屋筆頭に、、
「あさって夕刻でも、深川の{季四}で---」
耳に入れた正寿が微笑をたたえ、
「相良(田沼意次 おきつぐ)侯がおこころ入れをなされておる店とか---。今宵もそこでと、おもわぬでもなかったが、お客の陣地というのもどうかと案じての---はっ、ははは」
玄関を出た贄 組頭は、脇屋筆頭に
「脇屋は中坂を上ったほうが組屋敷への近道であろう」
脇屋と小者が消えるのを見きわめ、俎板(まないた)橋西詰まで歩きながら、
「組の者たちの重荷になっては---と気づかい、座敷ではあのようにいったものの、法眼元悳どのはお上の脈もとっておっての」
「承りました」
「頼みますぞ」
くぐり戸から門内に消えたのを見送った平蔵と松造(まつぞう 28歳)は、小石川橋のたもとで提灯をふり、それを合図に雪洞に灯をいれて船宿〔黒舟}と筆書きの字を浮きあがらせた小舟へ乗った。
小舟は神田川をくだり、浅草橋で松造をおろすと、大川から上(かみ)の橋をくぐり、油堀に入り、その先を曲がって〔季四〕の舟着きへつけようとした。
【参照】2010年12月4日~[先手弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
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