〔梅川〕の仲居・お松(2)
「ご亭主どの。ご存じでしたら、さしさわりのない程度でよろしいから、教えていただけませぬか?」
「また、あらたまって、なんですか?」
話しあっているのは、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの長谷川平蔵)と、〔盗人酒屋〕と店名を記した軒行灯を堂々と掲げて商売をしている主(あるじ)の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)である。
四ッ目の通りに近い〔盗人酒屋〕の板場。
「〔舟形(ふながた)〕という通り名の仁のことですが---」
「〔舟形〕の、のなにを---?」
店と板場を仕切っている暖簾を割って、おまさが入ってこようとした。
「おまさッ。いま、長谷川さまと内密の話しあいをしている。店の前の道でも掃いてな」
いつになく鋭い声で、忠助が追っぱらう。
ふくれっ面のおまさは、それでも、店の外へ出て行った。
銕三郎は、ここからも近い、竪川ぞい・緑町にあった料亭〔古都舞喜(ことぶき)〕楼を2度も襲った賊の首領格の男が、紅花染めの手ぬぐいを持っていたこと。
紅花を栽培している農家が多い出羽国には舟形山があること。火盗改メには、〔舟形〕の宗平という盗人が記録されていること。
〔古都舞喜〕楼では、お松という通いの女中が、2度目に賊が襲ってから10日ぐらいに辞めたこと。その女中が柳橋の料亭〔梅川〕で仲居をしていること---などを、つつみかくさずに話した。
「その、お松を見かけたのが、いまは、本所・尾上町の料亭で女中頭心得へ移っているお留(とめ 33歳)さんというのが、舟形山に近い天童在の出とおっしゃいましたな」
「他所へあずけていたむすめご---お絹(きぬ 12歳)というのが、いちおう、しっかりしてきたので、いっしょに〔中村屋〕の世話になっていると---」
「長谷川さま。急いで手を打たなければならないのは、お留さんのほうです」
忠助の推察だと、豊島町の長屋あたりの聞きこみがおこなわれたことは、もう、お松の耳にはいっているとみていい。
豊島町に住んでいると話したのは、お留へだけだとすると、逆に、〔舟形〕のが、お留の働き先と住まいを調べて手をうつと考えておいたほうがいい。女中の働き先など、簡単に割れる。ましてや、女中頭となると。
「住まいも移したほうが安全でしょう」
「うーむ。拙の手にはあまるが---」
「とりあえず、今夜はうちで2人とも預かりましょう。店を閉めてから、こっそり、裏口からつれて入ってください。その後のことは、今夜、相談するとしましょう」
そこへ、ひょっこり、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 32歳)が顔をみせた。
「お、彦さん。いいところへきた。顔をかしてくれないか」
「こんな、汚ねえ顔でもようござんすかい」
「彦さんの顔がきれえだったためしは、ねえ」
「冗談いってる場合じゃねえんでやしょう?」
まず、彦十に、永代橋東ぎわの呑み屋〔須賀〕へ行き、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 35歳)へ、〔盗人酒屋〕の看板時刻にくるように伝えてもらうことにした。
銕三郎は、とりあえず家へ帰り、父・平蔵宣雄(のぶお 49歳)に、事情を打ちあけ、お留の働き口にこころあたりがないか、訊いた。
「大川近辺から、うんと離れたところというと、雑司ヶ谷の鬼子母神の境内脇の〔橘屋〕なら、頼めないこともないが---」
(雑司ヶ谷の鬼子母神境内の〔橘屋〕 『江戸買物独案内』)
「ぜひに。父上の推薦状をもって、拙が、談合いたします」
「おんなのこととなると、銕(てつ)はまめじゃのう」
「父上ゆずりと、みえます」
「申したな---はっ、ははは」
【ちゅうすけ注】雑司ヶ谷の鬼子母神境内〔橘屋〕忠兵衛は、『鬼平犯科帳』巻15長篇[雲竜剣]p11 新装版p11 巻18[おれの弟]p163 新装版p173に登場。若いころの秋山小兵衛が活躍する『黒白』(新潮文庫)では全篇を通じて舞台となっている。
【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)
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