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2008.08.01

〔梅川〕の仲居・お松

「死に水をとってやっていないと、いくら仏の顔を拝んだといっても、もう、この世にいないということが納得できかねて---」

銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの小説の鬼平)が言うのを、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 35歳)は、慰めの言葉もかけられず、痛ましげに見つめるばかりであった。

隣にひかえている女房・お須賀(すが 29歳)の膝の上には、銕三郎が藤沢宿の薬屋で見かけたので求めたという、京・富小路竹屋町の〔堀家〕謹製の小児五疳(ごかん)驚風に効く〔肝凉(かんりょう)円〕が載っている。
赤ん坊のお(しま 当歳)は昼寝らしい。

権七が話題を変えた。
「お指図いただいておりやした、料亭〔古都舞喜〕楼から消えた仲居のお(30歳前後?)が見つかりやした」

参照】2008年7月17日[明和4年(1767)の銕三郎] (1)

「ほう、どこにおりました?」

銕三郎が、箱根へ旅たつ前に、あたってみるように権七に頼んでおいたことである。

参照】2008年7月17日[明和4年(1767)の銕三郎] (4)

住まっていると、かつての同僚・お(とめ 33歳)に告げたという、豊島町一帯に聞き込みをかけたところ、両国柳橋の料亭へ通いの仲居をしている、30前と見える、ちょっと小粋なおんながそうではないか、と答えた婆さんがいた。
住まいを見張っていて、尾行(つ)けたら、柳橋の高級料亭〔梅川〕へ勝手口から入っていった。

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(柳橋の料亭〔梅川〕と〔亀清(かめせい)〕 『江戸買物独案内』)

ちゅうすけ注】〔梅川〕はいまはない。〔亀清楼〕では、横綱審議会が開かれる。

〔梅川〕に出入りしている篠塚稲荷(現・台東区柳橋1-5)西隣りの芸妓置き屋でそれとなく確かめたら、やはり、去冬の初めごろから〔梅川〕で座敷仲居をしていることがわかった。
齢よりも若く見える小顔だし、姿態に色気もあるので、男客にけっこう人気があるという。
ただ、芸妓の口ぶりは、好意的ではなく、商売仇(がたき)とおもっている感じであった。

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(柳橋の〔梅川〕)

その足で銕三郎は、尾上町の料亭〔中村屋〕を訪ね、先手組の組頭・長谷川の家の者と身分をあかし、女中頭心得のおを呼びだした。

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(最上部---両国橋東詰の川下側(左手)に料亭〔中村屋〕)

開店前で、まだ普段着のままではあるが、もともと、目鼻立ちのくっきりした顔立ちにきちんと化粧をしたおの、落ちついた大年増の色気は、隠そうとしても隠しきれるものではない。
近くの〔紙屋〕弥兵衛の店で再会したときの、むすめ連れの、いかにも母親然としていた印象との、あまりの違いに、驚いた。
(仕事をこなしているときのおんなは、やはり、美しく映るのだ)

銕三郎は、三島の本陣を亭主に代わってきりもりしている女将・お芙沙(34歳)を連想してしまった。
(この色気では、男客がほうっておくまい。おと、どっちがもてるのであろう?)
不謹慎な比較をしていた。

「もうすぐ、持ち場に就く前の打ち合わせが始まります。ご用のことは、明日、お昼前に、松坂町の家のほうで承るわけにはまいませんか?」
「悪かった。そうしよう」

竪川(たてかわ)ぞいに東へ向かいながら、銕三郎は、こころの中でつぶやいている。
(おれは、阿記(あき 享年25)が逝ってしまった悲しみをまぎらせるために、こんなやくたいもないことにうつつをぬかしているのであろうか。いや、ちがう。いずれ、父上へ火盗改メをご用命が下ったとき、十分にお手伝いができるように、鍛えているのだ)

四ッ目の〔盗人酒屋〕へ入ると、おまさ(11歳)がすっとんできて、はずんだ声で、
「お帰りなさい。阿記姉(ねえ)さん、いかがでした?」
銕三郎は、おまさのぱっちりした双眸(りょうめ)をみつめて、首をふった。
「えッ?」
もう一度、首をふる。

「うそッ!」
と叫んで泣き出した。
ただごとでないその様子に、亭主・忠助ちゅうすけ 45歳前後)が板場から出てきた。
「なんと申し上げればよろしいか---ご愁傷さまでございます」

銕三郎は、泣いているおまさをそのままにして、長身の忠助の肩を抱くようにして板場へつれもどし、小声で、
左馬さんの件のお手くばり、ありがとうございました」

参照】2008年7月19日[明和4年(1767)の銕三郎] (3)

岸井さんが見えて、しっこくお訊きになりましたが、知らぬ存ぜぬでとおしました。おまさにも教えておりませぬので、お含みおきを---」
「昨日、道場で会ったときの左馬さんは、尋常ではありませぬでした。挑まれたので、2、3番立会いましたが、その荒れように、高杉先生が見かねられて、それまで---ときびしくお命じになってくださり、怪我がなくてすみました」
「まあ、見つかるようなことはあるまいし、足利のほうへ知られることもないでしょうから、ご安心ください」
「おこころづかい、かさねがさね、お礼を申しあげます。このお返しは、いつか、きっと---」
「なんの、なんの---お若いうちの、いっときの気の迷い---いや、躰の欲の迷いです。男ならだれにでもあることです」

【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)


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