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2008.08.10

〔菊川〕の仲居・お松(9)

「ほう。おは、黄粉(きなこ)まぶしのおはぎが好物ですか。それはおもしろい」
(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 45歳前後)が、了見(りょうけん)ぶかげに応じた。
告げたのは、そのことを睦みの合間にお(とめ 33歳)から聞いた、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)である。
四ッ目通りに近い〔盗人酒場〕の昼さがりで、店をあける時刻ではないから、客はいない。
(12歳)についておまさ(11歳)もお使いにでもでているのか、姿が見えない。

午前中にお---いや、すでにお(なか)を名のっている彼女を、雑司ヶ谷・鬼子母神の境内脇の料理茶屋〔橘屋〕へ送りこんでの帰りであった。

〔橘屋〕の座敷女中のうち、頭(かしら)のお(えい 35歳)とお(ゆき 22歳)は〔橘屋〕の脇にある寮住まいとのことで、おもそこに1室をあてがわれた。
ほかの8名ばかりのおんなたちは、亭主持ちで、通いである。

「おさん。わたしたちが順番に2人ずつ、母屋と離れに当直(とのい)をします。番は5日でひとめぐりです。盗人除(よ)けのためですが、別に男衆も2人ずつ当直していますから、おんな衆のばあいは、ねずみ除けですね」
「食事は、3食とも、調理場のとなりでいただきます」
「お非番は、月に1日ずつ」

「お客さまとの情事(いろごと)は、きびしく禁じられています。情人(いろ)とのそれは、お仕事にさしつかえないかぎり、べつにかまいません」
(昨夜までのお)が、視線を銕三郎へ走らせたのを、おは見逃さなかった。

「お客さまが情人(いろ)になってしまえば、いいってことですね」
若々しく、肌もつやつやしているおが、銕三郎をちらりと見て、おにたしなめられ、小舌をちょろりとだす。

銕三郎と2人きりになると、おのおがささやいた。
「泊まりの夜を、飛脚便で報らせますからね」

-ややこしいから、これからは、おでとおすことにしたい-。

火盗改メ方のお頭(かしら)・遠藤源五郎常住(つねずみ 51歳 1000石)への連絡がついたと、父・平蔵宣雄(のぶお 49歳 先手・弓の8番手の組頭)が言ってくれたのは、その夜であった。
「いつにても、役宅にしている麻布・竜土町の屋敷へ参られよ。吟味与力・堀川喜之進(きのしん 42歳)どのが応対してくださるとのことであったぞ」

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(緑○=役宅にもなっている麻布竜土材木町・遠藤源五郎常住の屋敷 約800坪)

「あすにでも伺ってみます」
「〔橘屋〕へは、うまく納まったか?」
「寮に入れていただけました」
「それは重畳」
それきり、父は、おのことには触れなかった。

翌日、銕三郎は、麻布竜土材木町の遠藤邸へ出かけた。
榎坂をのぼって飯倉町から六本木通りを経て、麻布谷町の使番・安倍兵庫信盈(のぶみつ 44歳 1500石)の広い屋敷の角を左におれ、大番組屋敷の辻番所を通りぬけ、さらに左におれると、遠藤家の長屋門に達する。

ちゅうすけ注】安倍兵庫信盈の3世代前の一族が、『雲霧仁左衛門』(新潮文庫)のときの火盗改メ・安倍式部信旨(のぶむね 先手・鉄砲の15番手組頭 1000石)。

門番に辞を乞うた。

控えの間へ通され、しばらく待つと、太りぎみの堀川与力が、首をふりふり、現われた。
歩くときに、腕のかわりに肩を小さくゆするのが癖になっている。
月代(さかやき)あたりからだしているとしかおもえない、甲高(かんだか)い声だ。
鬢も薄くなりかかっている。
「われらになにか、頼みごとがあるやに伺っておりますが---」
相手は初目見(おめみえ)前の若者とはいえ、両番の家柄で、先手組頭の嫡子である。
堀川与力としては、精一杯の敬意をこめた言葉づかいをしている。

銕三郎は、大伯父であり、前の火盗改メのお頭・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 58歳 1450石 から)のところから、去年、本所・緑町の料亭〔古都舞喜(ことぶき)〕楼を襲った〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ 30歳すぎ 大男)と、その軍者(ぐんしゃ)で小男の〔舟形(ふながた)〕の宗平(そうへえ 50歳がらみ)という賊の一件書を引き継いでいるかどうかを訊いた。

「われらが組が火盗改メを仰せつかったのは、昨年(1766)の9月8日付です。同年6月18日に、長谷川さま組(先手・弓の7番手)から引き継いだのは細井金右衛門正利 まさとし 59歳=当時 弓の5番組組頭)さま組でした。
たぶん、麹町坂下(の細井邸)役宅のほうにあるのではございますまいか?」
「いや。その一件書のことではないのです」
「と申されると---?」

賊が〔初鹿野〕一味であることを見破ったのは、〔古都舞喜〕楼で女中頭をしていた者だが、その後、尾上町(現・墨田区本所1丁目)の料亭〔中村屋〕へ職を変えたが、その者が3日前から、店のほうへなんの連絡もしないで行方(ゆくかた)しれずになっている。

「これが1年前の『読みうり』ですが、どうも、紅花の手ぬぐいを見破ったのがその者と知れ、賊が命を狙っているとのきざしがあって、身を隠したようです」

差し出された『読みうり』に、さっと目をくれて、
「事件から1年も経って、というのが、なんとも解(げ)せませぬな」
「お頼みは、その者のことではないのです。その者の居所を突き止めるため、賊が〔中村屋〕へ手を出すのを防いでいただきたいと---」
「行方しれずになったその者と、長谷川どのとのおかかわりあいは?」
「大伯父・長谷川の手伝いで、一件を調べているときに---」
「その者の名は---?」
「お、です」
「齢は?」
「どうして、その者のことを---? お願いしているのは、〔中村屋〕への手くばりですが---」
「あは、ははは。あいわかり申した。さっそく、あのあたりの担当している同心をさしむけます。ただ、組はいま、細井どのの組が捕らえた火付け犯の再吟味を上つ方から命じられ、証拠の調べなおしやなにかで人手がたりません。どこまで手くばりできるかは---」
「何分とも、よしなに」
(早くも責任逃れの口実をしつらえたな)

「で、ご担当の同心の方のお名は?」
横山時蔵(31歳)です」
「いま、横山さまは?」
「見廻りにでております」
「お組屋敷は、小石川・伝通院前でございましたか?」
「さようだが、帰宅の時間は、その日によってまちまちでしてな」
「よろしければ、明日の四ッ(午前10時に、〔中村屋〕でお待ちしていると、お伝えください」

のことは、わざと、伏せておいた。
(たずがね)〕の忠助になにか上策があるようなので、火盗改メに乗りだしてこられては劣(まず)かろうとおもったからである。

(さて、午後は雑司ヶ谷へでも廻って、お---いや、おの勤めぶりでも眺めてみるか。
おとといの夜、あれほど励んだのに、もう、33歳の底のしれないあの躰を恋しがっている。おれって奴は---)

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(歌麿 蚊帳の中のおんな 部分 お仲のイメージ)

雑司ヶ谷はあきらめ、午後からは高杉道場へ顔をだし、井関録之助(ろくのすけ 18歳)と5番、稽古に励んだ。
銕三郎より4歳齢下の録之助は、2年前、16歳で入門してきたが、筋がよく、このところ、めきめきと腕をあげている。

録之助が、井戸端で汗を洗いながしながら、ボヤいた。
長谷川先輩。今日はいつもと違い、荒っぽくて、怖かったですよ」

参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10) (11)


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