〔梅川〕の仲居・お松(6)
家へ帰ると、父・平蔵宣雄(のぶお 49歳 先手・弓の8番手組頭)の部屋には、まだ、灯がついていた。
「よろしゅうございますか?」
「入れ」
「〔橘屋〕のこと、ありがとうございました」
「引きうけてくれたか?」
「快く。信州・沓掛での武勇伝、承りました」
「はっ、ははは。若いころの無鉄砲ごとよ」
さりげなく、銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)にあてつけている。
【参照】2008年8月4日[〔梅川〕の仲居・お松] (4)
「〔橘屋〕は、父上、母上がとんとお運びにならないので、うらめしくおもっていると申しておりました。拙も伴い、近いうちに、ぜひおわたりくださいと---」
「虚言を申すな。銕(てつ)ともども---などと申すはずがない。銕のような若者に、分不相応な贅沢をおぼえさせてはならぬ---というのが、忠兵衛どのの口ぐせじゃからな」
「いえ。若いうちから、舌にほんものの味をおぼえさせないと、金と地位ができてからでは手遅れ、と申して---」
「やめよ。あそこの女中は、美女がそろっておることで評判じゃ。銕の魂胆は、読めておるわ」
「父上。火盗改メ方のお頭(かしら)の遠藤源五郎(常住 つねずみ 51歳 先手・鉄砲(つつ)の9番手 1000石)さまとは、親しくなさっておられますか?」
「遠藤どのの禄高はわが家の倍以上だが、わしのほうが3年ばかり先任だから、互いにそれなりの敬意をもっておつきあいはしておるが---」
【ちゅうすけ注】父・長谷川平蔵宣雄の家禄は400石だが、番方(ばんかた 武官系)の最高位に近い先手組頭の役料は1500石格なので、足(たし)高1100石を支給されている(注;4公6民の率なので、手取りは440石)。
遠藤源五郎常住の家禄は1000石。したがって先手組頭としての足高は500石。
しかも、先手組頭は弓組が鉄砲組の上位の席順であるから、先任と弓組頭ということで、格は宣雄のほうが常住より上である。
「そういえば、なんとやらいう一味で、柳橋の料亭の〔梅川〕に、仲居となってもぐりこんでおる女賊のことがあったな」
「お松(30歳前)です」
「遠藤どのへの用件は、そのことか?」
「はい。遠藤組へお引きあわせいただければ、ありがたく---」
「考えておく。すっかり、探索が板についてきたようだが、遠藤どのは、いま、先任の火盗改メ・細井小右衛門元利(もととし 60歳 弓の5番手組頭 廩米200俵)どのの組が逮捕した火付け犯が、冤罪らしいということで、上のほうから再吟味を命じられ、忙しそうであるぞ」
「近いうちに、よろしく、お願いいたします」
(遠藤源五郎常住の個人譜)
(そうか、お留(とめ 33歳)も、美女の女中の一人になるのか。ひいき客がすぐにつくのであろうな)
自分の部屋で、昨夜のお留の量感のある乳房や、酔って軽く開いた唇をおもいだし、床での男に対する姿態を想像しているうちに股間が熱くなってき、あわてて布団をかむった。
高杉道場での一刀流の組み型を、頭の中でそらんじているうちに、熱は鎮火した。
あくる日、北森下町ある学而塾の竹中志斉(しさい)師へ、緊急の所要を申し出て、五ッ半(午前9時)に早退(び)きした。
竹中師は、白いあごひげをふるわせて、
「長谷川。来たばかりではないか」
師の叱声を、ふかぶかと頭をさげてやりすごした。
(いまは、孔子や孟子さまより、お留の身の安全のほうが大事なのだ。義を見て為(なさ)ざるは勇なきなり---というのは、『論語』だったっけ)
竹中師がなげくはずである。
[子曰く、その鬼(き)に非ずして之を祭るは諂(へつらい)なり。義を見て為ざるは勇なきなり]
宮崎市定さんの『現代語訳 論語』(岩波現代文庫)の訳は、「子曰く、自分の家の仏(ほとけでもないものを祭るのは、御利益のめあてにちがいない。当然着手すべきは時にひっこんでいるのは卑怯者だ」
へつらいの祭祀と、実行力を対(つい)で並べているから、一度祭ったら、それを追い出すことはよほど勇気のいることである、こう、読むべきだと。
まあ、銕三郎自身、火盗改メになってから、おのれの口から「おれは学問はだめだが、探索・逮捕の実績にかけてはだれにも負けない」といった意味のことを吐いているが。
塾から弥勒寺(みろくじ)橋の舟着きまでは1丁(100mちょっと)もないが、もう1丁先の、茶店〔笹や〕へ、お留を迎えに行かねばならない。
そこで、これからの手はずを相談---ということで、時間をたっぷりととったのである。
「よく、眠れましたか?」
お熊(くま 44歳)が横から口をだした。
「熟(う)れおんなが2人、男っ気(け)なしで、よう眠れたかも、ないもんだ」
「だんだんに、怖さが身にしみてまいりまして---」
「今夜からは、大丈夫ですよ」
「銕っつぁんが添い寝するのかえ?」
「殺し屋から遠のくってことです」
「お熊どの。われわれが弥勒寺の山門をくぐってしばらくしたら、お留どのの包みを、三ッ目の通りを弥勒寺橋のたもとの舟つきまで持ってきてください。お寺参りに、大きな荷は似合わないのです」
「ほいきた。けどよう、この熟れおんなに大きな荷も似合わないねえ」
つぶやくが、銕三郎はとりあわない。
それどころではない。
賊一味の見張りがきているかどうかを確かめるのに精一杯であった。
「では、お留どの。拙が先に出ます。一拍(いっぱく)おいてから、つづいてください」
「大丈夫でしょうか。ご一緒ではいけないのですか?」
「山門の陰で見張っていますから、ふだんの顔で歩いてください」
「まるで、芝居だね」
お熊は、ひとりでおもしろがっている。
塔頭(たっちゅう)・竜光院の横の脇門から2人が出ると、舟着きには、七五三吉(しめきち 24歳)が舟で待っていた。
銕三郎が先に乗りこみ、お留に手をさしのべたところへやってきたお熊が、
「ようよう。道行きのご両人ッ」
はやす。
赤らめたお留は、わざとのようによろけて銕三郎にすがりつく。
たっぷりとした感じの乳房が、もろに胸にあたった。
どきりとした銕三郎が、身をひく。
舟が大きく揺れた。
それでまた、お留がすがりつく。
こんどはその肉づきいいニの腕をつかんだくせに、
(だらしないぞ)
自分を叱る。
「日本橋川から、江戸川を遡って---」
「承知しやした」
七五三吉の棹さばきはもみごとなものだった。
強い陽ざしのうえに、川面からの照り返しがあるので、お留が手ぬぐいをかむった。
紅花染めのではなく、ふつうの豆しぼりであった。
「ご新造さん。真っ昼間だから、舟饅頭に間違える者(の)はおらんでやしょうが---」
七五三吉が茶々を入れた。
「こう、ですかえ?」
お留が手ぬぐいの端をくわえて、夜鷹の媚態をとって、銕三郎に流し目をくれる。
「そちらの方の経験が、まだ、ないもので---」
わざと困惑したおもむきで、銕三郎が応じた。
「経験がなくっても、入れば、極楽へお連れします。若い小むすめなんて、そこいらの空き地の遊び場ていどの腰づかい」
お留は、本気ともふざけともつかない科白(せりふ)を吐き、嫣然と笑いかけた。
銕三郎は目のやり場にこまったが、それならいっそと、お留を見返す。
耳には、竹中志斉師の声が追っかけてきている。
「子曰く、吾は未だに徳を好むこと、色を好むが如き者を見ず」
(子曰く、異性に関心の深い人間ばかりで、修養に心がける人間はさっぱりいないものだ--『現代語訳 論語』 同前)
(えーい、学んで時に之を習う、亦(ま)た悦(よろこ)ばしからずや---だ。なにを学ぶんだか。色かも---)
お留も、さすがにはしたないとおもったか、お熊がはこんでくれた風呂敷包みをほどいて、中をあらためている。
舟は、大川へでた。
七五三吉の櫓(ろ)さばきはあいかわらず、達者だった。
日本橋川へ漕ぎ入り、江戸橋をくぐった。
見上げたお留が、
「お江戸へ出てきて13年になりますが、このお橋を川から見上げたのは初めてです。なんだか、素肌を覗いたようで、親しみを覚えます」
「橋は、日本橋、一石橋、常盤橋、神田橋、一橋橋、俎板(まないた)橋---と、まだまだくぐりますから、たっぷり味わってくだせえ」
(まるで、お留が味わってきた男の素肌の数のことを言っているみたいだ)
銕三郎の連想は、とんでもないほうへ飛ぶ。
船河原橋から江戸川へ入ると、両岸とも武家屋敷で、塀ばかりが目立ち、道にも人影がほとんどない。
とうぜんのことだが、尾行(つ)けている者も見あたらない。
石切橋をくぐったとき、銕三郎が声をかけた。
「お留どの。まもなく、音羽(おとわ)です。そこで舟を下ります」
「おなごりおしいこと。たのしゅうございました」
江戸川橋のたもと・桜木町の舟着きで、こころづけをはずみ、七五三吉と別れた。
(緑○=江戸川橋の舟着き すぐの町が音羽9丁目 通りの上手は護国寺 池波さん愛用の近江屋板切絵図)
九ッ(正午)近かった。
一刻(2時間)ほども舟にゆられていたことになる。
「長谷川さま。ちょっと舟酔いいたしました。申しわけありませんが、少し、休んで行ってよろしゅうございましょうか?」
「それは、いけない。どこか、船宿か茶屋でもさがします」
音羽町9丁目は、江戸でも有数の猥褻(わいせつ)な地区で、その種の店にはこと欠かなかった。
【ちゅうすけ注】音羽町9丁目の岡場所は、『鬼平犯科帳』巻7[隠居金七百両]p42 新装版p44 で辰蔵や阿部弥太郎がよく遊んだ。
巻2『仕掛け人・藤枝梅安・梅安蟻地獄』(講談社文庫)[闇の大川端]p269 新装版p267 に姿を見せる、大女の女房・おくらにやらせている半右衛門の料理茶屋〔吉田屋〕があるのも、9丁目である。
【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (2) (3) (4) (5) (7) (8) (9) (10) (11)
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