〔梅川〕の仲居・お松(5)
南本所・二ッ目通りの弥勒寺(みろくじ)の山門前で、お熊(くま 44歳)がやっている茶店〔笹や〕に、身を隠したお留(とめ 33歳)母子(ははこ)の着替えや身のまわりの品をつつんだ大風呂敷をはこびこんだ銕三郎(てつさぶろう 22歳)と岸井左馬之助(さまのすけ 22歳)は、お絹(きぬ 12歳)とその荷を伴って、四ッ目通りの〔盗人酒屋〕へ向かった。
お絹を連れだすとき、お熊が毒づいた。
「なんだい、なんだい。熟(う)れおんな2人だけがのこされるんじゃないか」
「生憎(あいにく)と、若いむすめが好みなんですよ」
「青い実は、渋いだけだよう。引きかえ、熟れおんなの甘美さときたら---」
「熟柿は鴉(からす)の宝もの」
〔盗人酒屋〕は、いつもより看板を早め、板戸を閉めて、3人を待っていた。
飯台に置かれた冷酒(ひやざけ)とこんにゃくの炒り煮を、彦十(ひこじゅう 32歳)が、もう、つまんでいる。
雑司ヶ谷の料亭〔橘屋〕忠兵衛方でお留を雇ってくれることになったと、銕三郎は〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)だけに、目で知らせた。
知っている者が少ないほど、秘密が洩れにくいとおもったのだ。
気ばしをきかせて、お絹をおまさ(11歳)が2階へ連れあがる。
「彦さんから聞きました。松坂町の吾平長屋の差配には、話がとおったそうですね。明朝六ッ半(午前7時)にでも、差配に立会ってもらい、主だった荷をはこびだし、竪川にもやっている七五三吉(しめきち 24歳)の小舟にのっけて大川へ出ちまいます。大川へ出れば往来している舟にまぎれこめるから、めったに行方がわかるものじゃ、ありません」
「大川からは?」
「小名木(おなぎ)川へ入り、六間堀を横につっきって竪川へ戻る。そのまま四ッ目之橋下の舟着きへ、って寸法です」
「知恵も、そこまでまわると、たいしたものだ」
真正直な左馬が感心している。
(南本所・深川 赤○=松坂町の 吾平長屋 青点々=舟のコース。上=大川 右=竪川 左=小名木川 横=六間堀 四ッ目の橋は下(東)枠のさらに下)
「その七五三吉どのは、信用できますか?」
銕三郎が訊く。
「もとは、あっしの子分みたいな男でして---小網町の奥川筋船積問屋〔利根川屋〕の船頭あがりです」
【参照】七五三吉は、『鬼平犯科帳』巻4[おみね徳次郎]p213 新装版p223
女賊おみね 徳次郎
「それは重畳。荷運びが終わったら、拙に貸していただけませぬか?」
「どうぞ」
「では、四ッ(午前10時)に、五間堀の弥勒寺橋のたもとでもやっているように言ってください」
「どうするのだ?」
と左馬。
「〔笹や〕からお留さんを、前の弥勒寺の境内へ入れ、塔頭(たっちゅう)・竜光院側の脇門から五間堀の舟へ、というわけ」
「その先は?」
「大川」
「それはわかっている」
「あとは、舟の舳先(へさき)に訊いてくれ」
日本橋川から江戸川へ入り、護国寺あたりまで行くつもりだな、と忠助は察した。
「ご亭主。柳橋の〔梅川〕のお松のほうはどうしたものでしょう? 父上に、いまの火盗改メのうち、遠藤源五郎常住(つねすむ 51歳 1000石)さまにつないでいただこうかとも、おもっているのですが---」
遠藤源五郎常住は、千葉党から織田・豊臣を経て徳川についた。その分、家柄を誇っている向きがある。とはいえ、遠藤一門の末のほうではあるのだが。
「火盗改メ方になにをお頼みになるのですか?」
「それは、遠藤お頭(かしら)と相談して---」
「いま少し、お控えになってください。お留さんの身が落ちついてからでも遅くはありません。ところで、火盗改メのお頭はもうお一方(ひとかた)のほうが先任では?」
「よくご存じで---。細井金右衛門元利(もととし 60歳 廩米200俵)さまですが、このお方は、頼りにできませぬ」
【参照】細井金右衛門元利は、2008年6月11日[明和3年(1766)の銕三郎] (5)
2008年6月12日[ちゅうすけのひとり言] (13)
【参照】2008年8月1日~[〔梅川〕の仲居・お松〕 (1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9) (10) (11)
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