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2008.02.01

与詩(よし)を迎えに(38)

平塚宿の東端を流れている馬入川は、馬乳川と書いた時期もあると。
相模最大の川なので、相模川とも呼ばれた。
武家は渡舟料の16文が不用である(1両(4000文)10万円換算だと375円)。

馬入渡舟場の対岸---中島村から藤沢宿まで、3里12丁(14km)たらず。
銕三郎(てつさぶろう 18歳)は、藤沢までの今宿、茅ヶ崎村の西はずれの立場(たてば)の南江(なんこ)などの風景を愛(め)でながら、松並木の一人旅をくつろいだ。

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(茅ヶ崎村 左(西))の村はずれが南江の立場)

『鬼平犯科帳』巻15・長編[雲竜剣]では、南江から海岸への道にある報謝宿を、同心・木村忠吾おまさが見張る。
南江から藤沢は2里9丁(約10km))。

藤沢宿は、本町の本陣・〔蒔田源左衛門方で、阿記(あき 21歳)、藤六(とうろく 45歳)、与詩(よし 6歳)が、昼食も摂らないで待っていた。

「若。ご無事で---」
「なにを案じていたのだ。ただ会って、顔を立たててやっただけだ。阿記どの、〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛が、縁切りのことにかかわってくることは、もう、ありませぬ」
「ありがとうございました。胸のつかえば晴れました」

食事を終えると、阿記が、せっかくだから、時宗の総本山である清浄光寺(通称・遊行寺)へ参詣して行きたい、という。
蒔田」を辞去して、東海道を南へ、江嶋(えのしま)道の分岐点の手前左手の丘に建立されている。

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(藤沢宿 東海道(右下)から江嶋道(左)へ 『江嶋道見取絵図』)

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(遊行寺門前の江嶋大鳥居と大鋸(だいぎり)橋
 広重『東海道五十三次』)

樹齢数百年という銀杏の大樹が目じるしである。いや、この大樹があったから、ここに総本山が置かれた。
山門からは、いろは48文字をもじって、48段のいろは坂が参道である。
与詩が、どうやら、数えられる数である。
遊行寺の由来は、開祖・一遍上人が、「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と書いた札をくばりながら全国を遊行布教したことによるらしい。

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(遊行寺本堂)

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(本堂の内陣)

阿記は、本堂の阿弥陀如来像に、なにかを入念に祈った。与詩が見習った。

待たせていた馬に、阿記与詩が乗った。
江嶋まで1里14丁(5.5km)。
ゆっくりやっても、1刻(2時間)かからない。
阿記の表情が、なにやら、硬い。

石上村では、相模湾ごしに富士山が迫ってきて、与詩がはしゃいだ。

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(石上村から望む富士 『江嶋道見取絵図』 )

阿記は、思案をつづけているようだ。

片瀬村から、江嶋の全容が望めた。

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(江嶋海浜 『東海道名所図会』)
江ノ島から富士山を眺めた写真

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(江嶋全景 『江嶋道見取絵図』)

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(江嶋祭礼 『東海道名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

宿は、〔三崎屋〕で、大磯のときのように、銕三郎与詩阿記藤六と、3室とった。
「手前の部屋に、与詩どのを---」
藤六が言うと、ぴしゃりと、
「それは、この子の将来のために、いかぬ。そういうことを感じさせてはならぬのだ」

本坊の竜穴・弁財天への参詣は、明日の午前中の潮が退(ひ)いたらすぐということになり、与詩藤六に預けて、銕三郎阿記の部屋を訪ねた。

「どうして、ふさいでいる」
声をかけるなり、阿記がむしゃぶりついてきた。まるで、阿記のほうが齢下のようだ。
「今夜が最後の夜です」
「そうだな。これまで、いい思い出をつくってくれて、ありがたいと思っている」
「思いだしてくださいますか?」
「あたり前だよ。忘れるわけがない。今夜は、与詩を早く寝かしつけよう」
「こころ待ちにしています」

与詩が眠ったのを確かめて、銕三郎は、阿記の部屋へ忍んだ。
寝着のままで、酒をなめている。
銕三郎に、盃をつきつけて、
「今夜は、正気ではいられません。酔って、乱れられるだけ、乱れるのです」
もうかなり酔っている阿記を、抱くようにして、床へ入れた。
おぼつかない手で寝着をはぎ取り、銕三郎のものも脱がせる。
さま。お子が産みたい」
「えっ?」
「ご迷惑はおかけしません」
よくまわらない舌で、兄が湯本の旅宿で修行しており、やがて帰って家業を継ぐから、自分は、どこにでも行ける身で、江戸へ住むこともできる。なりわいの金は、兄が送りつづけてくれるとおもう。
そんな意味のことを、銕三郎の耳元で、ささやくように繰り帰す。
「ふくらんだ腹では、尼寺が置いてくれまい」
「ですから、江戸でもどこでも住みます」
「尼寺に2年入っていないと、縁切りが成就しないのではないのか?」
「だから、悩んでいるのではありませんか」
突然、裸身でのしかかり、銕三郎の首に腕をまきつけると、くるりと反転、上下が入れ変わった。

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(栄泉『好色 夢多満佳話』)

陰に陽に干渉する姑(しゅうとめ)から解き放たれての、銕三郎との睦みあいには、遠慮をしなかった阿記だったが、この夜は、夜叉にでもなったかとおもうほどのはげしさで、求めた。
この7日ほどの営みで、立派に成年したつもりになっていた銕三郎も、目を瞠(みは)りながら応じるしかなかった。

真夜中に部屋へ戻ってみると、藤六与詩を厠へ連れて行って、また寝かしつけたところであった。
藤六が、うなずいて、自室へ帰っていった。


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